キングスクロス:五.ロンドン~ニューヨーク(六月十二日~六月二十一日)(3)
大西洋上。
「オリンピア」デッキ一〇最後尾近くの一等ジム。この船には各等に対応する形で、合計三つのジムがある。建前上はどのクラスの乗客がどのジムを使ってもいいことになっているが、各ジムの受付職員が乗客に携帯を義務付けたIDですかさず等級を確認、下級船客には満室を口実にやんわりとご退去願っている。尤も航路当初には、中国人の受付係が日本人船客につっけんどんな対応をして騒ぎとなり、日本人マネージャーが急遽、全接客スタッフを集めて再研修をする羽目になったものだ。
サムナートは、隅に置かれたサイクリングマシーンを漕いでいた。フロア内を殆ど埋めた利用者の大半は白人だ。欧州で降りた船客よりも、新たに乗ってきた人数のほうが多いのではないか。尤も、ウェルカムパーティーで聞き耳を立てていた限りでは、新大陸で降りる客も少なくないようだ。航空機に長距離旅客輸送の覇権を渡す二十世紀後半以前から、否それ以降でもこのルートは依然旅客航路の花形であるのだろう。そして、今後も。
シーターが遅れて現れた。予め決めていた方法で、国際的な掲示板の北米版サイトで本国に連絡を送ったところだ。本国では秒単位で担当の係官が更新状況をチェックしており、怪しんだ北京の手先が書込み削除を実施しても追いつかない筈だ。
「様子はどうだ?映画館は確か、昼間の上映が終わる頃だったかな?」
「『王妃の紋章』。丁度観劇を終わった客が入ってきたわ。凄い嫌な顔をしてた。五輪開会式の芸術監督がメガホンを執ったらしいけど、『本大会直前によく、あんな作品を撮れるな』……ですって」
「十世紀の架空王朝を舞台にした悲劇だったな?」
「国王夫妻と三人の息子がいるんだけど、第一皇子の皇太子は前妻の息子で、後妻の現王妃は政略結婚。それを煙たがっていたのか、国王は王妃に遅効性の毒を盛っていて、それを知った第二皇子が……」
「そこまで。何やら面白そうな話だが、ネタバレだなあ。後々の愉しみにしたい気もするが……それとも、今聞いておいたほうがいいのかな?」
サムナートは笑顔を保っていたが、目からは笑みが消えていた。
「そうねえ……その次男が、九月の菊の節句に合わせて反乱を計画するの。結果的に失敗するんだけど、国王が課した償いがふるっていたわね。『命は助けるから、今後は自分に代わってお前が母親に薬を飲ませるのだ』。さて問題です。第二皇子はどうしたと思う?」
「さあ?」
「両親を目の前に自刃したのよ。反乱勃発とほぼ時を同じくして、皇太子と末っ子の第三皇子は殺し合い、結局国王の位を伝える筈だった三人の息子は、一夜にしていなくなったわけ。その光景を目にしながら、表面上は何もなかったように酒肴を口にする国王夫妻……それがラストシーン。どう?」
「それはそれは……開会式招待客への前夜祭で上映したら、さぞ面白いことになるだろう」
「そうね、意味深よねえ……客の誰かが映画関係者か何かだったみたいだけど、漏らした言葉が『これはレポートに書けないなあ』ですって」
サムナートは思わず噴き出した。
「インドだったら映倫がストップをかけそうだね。ハリウッドでもリチャード・ギアとかが抗議活動を続けているし。『一つの世界』が今大会の合言葉らしいが、とんだ世界だな……あちらからは、連絡はあったか?」
「ええ……ジンバブエが動いているみたい?」
「ジンバブエ?この船の航路からは外れているが……」
「そうなんだけど、北京駐在の大使館で、今回のクルーズに関する情報収集の動きが活発化していたそうよ。さすがに北京も感付いて、ジンバブエに情報を渡していた中国人の情報屋が不審な死に方をしたとかしないとか。ハラレも多分黙っていないでしょうね」
「何だろう?今回の計画に一枚加わっているのかな?」
「多額の援助を受けているからあり得ない話じゃないけど、それにしては流血の事態になっているのが解せないわね。大使館が情報収集中だから、じき何かわかると思うけど」
「アフリカか……」
鄧小平が推進した改革解放路線のお蔭で得た巨万の資金を、北京は後進地域へ注ぎ込むことになる。ミャンマー、中南米、東欧、そしてアフリカ。もちろん慈善心からなどでは、全くない。冷戦終結後顕著なアメリカの一強傾向に対抗すべく、「第三世界」を標榜するこれらの地域に北京のシンパを増やすためだ。その為には欧米が蛇蠍の如く嫌う独裁政権であっても構わず、資源輸入権とビッグ・アップル(国連)での票とを引換えに武器と資金を注ぎ込んだ。だがその結果スーダンではナチスさながらの民族浄化を生み、ジンバブエでも独裁政権化が進んでいた。
戦後半世紀近く、中国に対抗する必要上インドはアメリカだけでなく、ソ連とも緊密な関係を保ってきた。冷戦終結とそれに続くソ連崩壊が、単に国名がロシアへ変わったというだけで済まなかったのはデリーも同じだった。微妙な情勢下で勃発した同時多発テロは、皮肉にも宿敵パキスタンの独裁者・ムシャラフとの奇妙な和平関係を生み出したが、それも終わりを迎えつつある。中央アジアで摩擦を起こしている北京が彼等イスラム勢力と真に手を組むことはあり得ないが、パキスタン、否あのアルカイダの背後にも北京の影があったとの情報もある。
デリーは、そして察知することがあればワシントンはこの動きにどう対応すべきか。ウェールズの陸影が水平線の向こうへ消えて以降波高くなった大西洋を行く「オリンピア」同様、世界の情勢も行方の知れぬ海域へ漕ぎ出したようだ。
ワシントンDC・大統領官邸。
「ジンバブエの国連代表部が接触してきたと聞いたが?」
「その通りです。用件は……例の計画です」
「ルーマニアに持ち込まれたという、あの『荷物』のことだな?」
「そうです。しかもそれは、もう旧大陸にはありません」
「ヨーロッパから運び出されたということか。どこにあるんだ?足取りはつかめているのか?」
「それがジンバブエの用件そのものです。そして彼等の情報が正確なら、『荷物』は今まさに大西洋を西に向かいつつあるところです」
「何だって!」
「まず、これをお聴きください」
補佐官は、卓上に置いたテープレコーダーのスイッチを入れた。
――まず、貴職の姓名と身分から伺いたい。
――私はムスワティ・ポハンバ。ジンバブエ国連代表部職員で、で働いている。ハラレでの或る動きについて、祖国の利益のために合衆国へもたらす目的で、今ここにいる。
――それは、ハラレ……ずばり、大統領パトリック・ツポ大統領の意向と解釈してよろしいか?
――いいや、公式・非公式を問わず指令を受けてのことではない。あくまで自分が独自に判断した上での行動だ。
――貴職が今名指しした、ハジ審議官の関わりは?
――この情報に自分と同等、いやそれ以上に通じていると考えられたい。
――情報と言うのは、具体的にはどういうものか?
――ヨーロッパ各国の情報当局が内々に、しかし必死に追っている「荷物」のことだ。それは昨年秋、中央アジアからカスピ海地域経由でルーマニアに運び込まれたが、今年になって再び国境を越えた。ドイツやバルカンに持ち込まれたりしたが、先日バルセロナから或る船に積み込まれ、今は大西洋上を新大陸へ向けて西進途中の筈だ。
――或る船、とは?
――クルーズ客船「オリンピア」。ニュースにもなっているから、あなたもご存知ではないかと思う。
――北京五輪の宣伝クルーズ船だな。よく知っている。そういう剣呑な積荷を、あの船はどこに運ぼうというのだろう?「荷物」の最終的な受け取り主は?
――カラカスであると承知している。荷卸地点は特定できていないが、同船が寄港を予定している、新大陸地域の港のどれかだろう。
――「オリンピア」をそういう計画に使えば政治的影響も小さくはないが、北京はこのことを知っているのか?
――知っているも何も、この計画には北京が深く関わっている。主体はあくまで平壌とカラカスだが。
――そういう、最高レベルの機密情報を、貴職はどういう経緯で入手したのか?
――北京と、ある種の取引を考え、その材料としてピックアップしたとだけ申し上げておく。これは自分が考えたことではなく、国連代表部に勤務する或る人物が指揮を執り、ジンバブエの国家意思として進めていたものだ。
――それが確かに、ハラレの意思であるという証拠は?指揮を執っているという人物を特定できるか?
――できる。事前の了解は得ていないが、もしあなた方が絶対に公にしないと約束してくれるなら、今姓名を明かしてもいい。
――約束しよう。書面が必要というなら用意してもいい。
――結構だ……ギルバート・ハジ代表部審議官。私の、名目上の上司でもある。
――了解を得ていないと言ったが、それは今日貴職がこの情報を我々に明かすことも含めてかね?
――そうだ。だが自分は、これがジンバブエとその国民の利益に合致するものだと考えたし、ハジ審議官も、ハラレの大統領も私の行動を理解してくれると信じている。
――貴職のもたらした情報が明るみになれば最悪ハラレの現政権も倒れかねないが、それでも同じことを言えるかね?貴職のお覚悟とは別に、この計画に何らかの関与があったとなれば、貴国に対する合衆国の対応も改めて考えざるを得ないが、それもご承知の上か?
――結構だ。
テープはそこで終わっていた。在室者達はしばし無言だった。
「裏は、取れていないんだな」
「目下確認中ですが、これに二つ補足できる情報があります。この国連代表部職員が北京で接触した情報屋が、半月前北京市内で謎の死体となって発見されたこと。もう一つが今朝、この職員がブルックリン橋から身を投げたこと」
「偽装……か?」
「州警察はこの職員の行動を洗っていないので、そうは思っていないようですが。横槍を入れると我々が追っていると感付かれるので、ひとまず彼等の考えるとおり表向き自殺、で処理させるしかないようです」
「表に出れば、オリンピックどころではなくなるな……大統領のお耳に入れるには、材料が少なすぎるが」
「わかりますが、こうしている間にも『オリンピア』刻一刻本土へ接近しつつあります。どこかの地で『荷揚げ』が実行される前に、ホワイトハウスの意思決定が為されることを望みます」
「同感だ……情報収集を急いでくれ。私は補佐官と相談してみる」
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