元秘書と「六幸商会」
(AERA 2009年10月19日号掲載) 2009年10月16日(金)配信
鳩山首相の資金管理団体をめぐる「故人献金」疑惑で、検察の捜査が始まった。
問題のカネはどこから来たのか。首相は自ら国民に説明する機会を逸してしまった。
9月下旬の週末、男は車を運転して戻ってきた。夕闇に包まれたさいたま市の住宅街。
「勝場さん」
記者の声に、振り向いた。スポーツシャツ姿である。
「今、お仕事は」
「鳩山事務所は辞めました。検察への告発は不受理ではないし、当分、再就職というわけにはいきません」
勝場啓二氏。3カ月前まで鳩山由紀夫民主党代表(現首相)の公設第1秘書だった。
《数千万円を預かる》
由紀夫氏の政治資金管理団体「友愛政経懇話会」の収支報告書にすでに亡くなった人、寄付した覚えがない人からの献金が多数記載されていた。
「経理の実務担当秘書が独断で行った」
6月末の記者会見で由紀夫氏は勝場氏をもっぱら責めた。そして虚偽の報告書を作った責任を問い、解雇したのである。
勝場氏は森ビルの社員だった。由紀夫氏の亡父で外相も務めた威一郎氏が森ビル所有の建物に事務所を設けていた縁でスカウトされ、秘書へ転じた。
「問題の中身が中身ですから。(由紀夫氏や弁護士が明らかにした以上)話すつもりはない」
勝場氏は硬い表情のまま、言葉を絞り出すように語った。
7月には都内の団体が由紀夫氏と勝場氏ら秘書2人を東京地検に告発。同地検特捜部は10月初め、報告書に名義を使われた人たちから参考人聴取を始めた。
由紀夫氏の弁護士らによると、2005年からの4年間だけで、架空の献金は延べ192人分、計2177万円にのぼる。政治資金規正法で禁じられた虚偽記載にあたるとみられ、禁錮5年以下、罰金100万円以下の刑事罰に問われる可能性がある。
由紀夫氏は会見で、偽装献金の出所を「自分の資金」と説明した。秘書に預けている年間1000万円以上の個人資産から、勝場氏が無断で流用したという。
「4年間で2000万円以上ものカネが勝手に口座から引き出されて、なぜ気付かないのか」
と問われ、由紀夫氏は答えた。
「大まかな人間だったと反省している」
勝場氏に直接質してみた。
──原資は由紀夫氏の自己資金というのは本当か。
「その通りだ。外部から入ってきた(裏献金などの)カネではない。額は1000万円よりもっと多い。複数年にわたり、数千万円を預かっていた」
──何のためにこれだけの額を預かっていたのか。
「事務所の運転資金。(保管の方法は)話せない」
愛車を自宅車庫に収め、勝場氏は玄関へ姿を消した。
支援者から“口止め”
会見で由紀夫氏は真相究明を約束した。ところが、その言葉とは裏腹の隠蔽工作が図られた気配すらある。
「故人献金」が表面化した6月中旬。ある鳩山家関係者のもとに、九州に住む知人のA氏から電話がかかってきた。
A氏は会社社長である。友愛政経懇話会に、数年にわたり数十万円を個人献金したとして、報告書に名前が記されていた。
数回にわたる通話で、この鳩山家関係者にA氏は訴えた。
「マスコミから、由紀夫氏への個人献金の有無について問い合わせを受けた。調べたけれど、私個人、会社とも、献金した記録は一切ない」
こんな話も聞かされた。
「B氏から突然、電話があり、取材に対する口止めをされた。『余計なことはしゃべらないように』『献金したかもしれない、などと曖昧に答えておいてほしい』と言われた」
B氏は由紀夫氏の支援者で、選挙活動にも協力する鳩山事務所の顧問的存在の一人という。
この関係者によると、A氏は当初、献金していない事実を正直にメディアに話した。しかし、B氏から働きかけを受けた後の別の取材には、「恐らく献金した」と反対の内容を語ったという。
この後、同懇話会を舞台にした偽装献金の事例が次々と明るみに出る。由紀夫氏側は200件近くの虚偽記載を認め、寄付者の実名が書かれた収支報告書を修正。記入されていた個人献金のうち、8割を削除した。A氏の名前にも削除を意味する二本の横線が引かれた。
B氏に働きかけの事実を確認したところ、こう否定した。
「A氏は同郷の知人。報告書に自分の名前が載っている、と聞かされたが、それ以外の話はしていない」
邦夫は協力してくれた
だが、総選挙公示が迫った8月7日、福岡県大川市での演説で、由紀夫氏の実弟、邦夫氏はこう語った。
「兄弟だから、私の友人たちがいっぱい(献金者として報告書に)入っている。兄に紹介した人たちは、勝手に名前を使われて、私のところに怒って電話をかけてくる」
「あっという間にもみ消し工作をやった。その方にもらっていないが出したことにしてくれ、と兄の事務所が懸命に頼んだ。わかったと、(その人は)マスコミが来たら『政治献金したような気がする』と言った。ところが兄の事務所は慌てて、全部もらっていないところを消した」
邦夫氏は「もみ消し」を糾弾する一方、同じ日の演説でこんな言葉も発した。
「兄の問題は、簡単に言えば、表にできない裏献金ばっかりいっぱい受けていることだ」
邦夫氏が所属する自民党も、国会対策委員会のメンバーを中心にプロジェクトチームを組み、追及した。チームの座長を務めた村田吉隆衆院議員は話す。
「邦夫さんは積極的に協力してくれた」
限度額寄付の母と姉
政治で使われるカネの流れを透明化し、腐敗を防ぐ。それが政治資金規正法の目的だ。汚職事件といたちごっこをするように改正が重ねられ、献金の質量両面での規制や、収支報告の詳細化に至った経緯がある。
同法によると、友愛政経懇話会のような資金管理団体に対し、個人は1年間に総額1000万円まで献金できる。ただし、1団体に個人が寄付できる上限は150万円。同一人物による寄付が5万円を超える場合には、氏名や金額を収支報告書に記載しなければならない。
法に反して、架空の献金をでっち上げた理由は何だろう。
由紀夫氏は6月末の記者会見でこう述べた。
「個人献金があまりに少ないもので、わかったら大変だという思いが(勝場氏に)あったのではないか」
動機は秘書の保身と説明した。
とはいえ、修正後も収支報告書の寄付欄にはなお、多額の匿名献金が残る。実名献金総額の90%以上は本人を含む親族、秘書経験者やその家族など「身内」ばかりになった。その中で、毎年、限度額いっぱいの150万円を寄付してきた人物が首相の母、鳩山安子さんと姉・井上和子さんである。
安子さんは日本最大のタイヤメーカー、ブリヂストンを創業した故石橋正二郎氏の長女。由紀夫氏、邦夫氏も子どもの頃から同社株の贈与を受け、現在、それぞれ300万株以上を保有する。二人とも都内の一等地に邸宅を構え、いずれの総資産額も80億円を下らない、と見られる。安子さんはさらに多くの同社株を蓄えているようだ。
年800人からの献金
ブリヂストン株がもたらす巨額の配当収入などを、一族は政治につぎ込んできた。安子さんは1993年、由紀夫氏の選挙区である室蘭市中心部に約1500平方メートルの土地を買った。翌年、鉄筋3階のビルを建て、由紀夫氏の政治団体を入居させた。選挙時、ビルは選対本部として機能する。
朝日新聞によると、由紀夫氏側が家賃として安子さんに払っているのは月10万円。相場の5分の1以下で、差額は安子さんからの寄付として報告すべき収入という。有り余る資産を活用するため、四苦八苦している一族の姿が浮かぶ。
鳩山家をよく知る関係者は「安子さんは常に兄弟を公平に扱う」と語る。ところが、07年に、母は弟・邦夫氏が代表を務める四つの政治団体に、計600万円を献金している。
「兄に150万円だけとは不思議だ。上限を超えた分を、由紀夫氏側が別人の名前を使って偽装したのでは」
自民党プロジェクトチームが作成した部内資料には、こんな記述がある。
「毎年、親の株配当金から数千万のヤミ献金(仕送り?)があるとの噂も。事実ならば、本人が関与していないわけがない。また、贈与に関する脱税の可能性も出てくる」
資金管理団体が得た寄付収入には課税されない実態を意識した批判だ。
「東京地検の捜査は淡々と進められている、という印象だ」
元東京地検特捜部検事で、名城大学コンプライアンス研究センター長の郷原信郎弁護士は話す。今年3月、小沢一郎・民主党代表(当時)の公設秘書が起訴された事件と比べると、捜査陣に熱気は感じられない。
献金の虚偽記載を問われた点で、二つの事件は共通する。ただ、小沢氏の資金管理団体がゼネコンによる企業献金を偽装したのに対し、由紀夫氏の場合は身内のカネを隠したに過ぎないのではないか。今のところ、悪質性は相対的に軽微だ。そんな見方も特捜部内にはあるという。
献金者の名前を出す必要がない5万円以下の「匿名献金」が当面、捜査の焦点になるだろう。収支報告書には、献金者の名前や住所を示さず、収入の総額だけ記載すればいい。
「個人名が出ている献金でさえ約8割が偽装。匿名献金が偽装でないはずがない。信じろと言われても無理がある」
自民党プロジェクトチームも部内資料でそう指摘した。
由紀夫氏の資金管理団体の場合、この匿名献金が03~08年の6年間で2億5千万円超にのぼり、政界でも突出して多い。最多だった03年に7900万円。先週公開された08年の収支報告書でも2669万円。年平均で4200万円になり、単純に1人が5万円を寄付したと仮定しても、毎年800人以上から献金を受けた計算になる。
「身内からの個人献金が多い由紀夫氏に、一般からこれだけ広く浄財を集めるのはどう考えても無理」
自民党幹部はそうみる。安子さんら親族による大口の資金提供を隠すため、膨大な数の匿名献金に分けて偽装したのではないか、と疑念を募らせる。
創業者一族が顧客
石橋家の邸宅やブリヂストン美術館永坂分室などに近接する東京・麻布の一等地。低層マンションと見誤りそうなビルの2階に、目指すオフィスはあった。社名を六幸商会という。
「ブリヂストン創業者一族という特定の顧客だけを相手にする会社です」
小野寺重穂社長は説明する。石橋家に加え、鳩山一族が保有するブリヂストン株をすべて預かっている、という。ペーパーレスの時代だから、株券を保管しているわけではないが、安子さんや由紀夫氏、邦夫氏らの口座を管理し、配当収入などがあるたびに連絡する。
「納税でも政治資金団体への振り込みでも、(一族から)指示されれば従う。使途は問いません」(小野寺社長)
六幸商会の実情を、鳩山家の関係者はこう説明する。
「資産の減少を防ぐセーフティーネットのような存在です」
由紀夫氏の指示で、秘書の勝場氏に送金、あるいは現金を渡した事実があるか、と尋ねると、小野寺社長は苦笑いした。
「銀行に顧客の取引内容を聞くようなものだ。答えられない」
編集局 松田史朗 編集部 福田伸生
どこまで特捜が迫れるか。歴史は司法の独立性を、あらためて注視している。
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