そろそろあの日から一年…
中国への信頼はますます薄くなっている
「世界平和と人類の慈悲の拡大のために 私の輪廻した後継者は女性かもしれない」=ダライ・ラマ14世
(SAPIO 2009年1月28日号掲載) 2009年2月9日(月)配信 文=茅沢勤(ジャーナリスト)
チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世は昨年11月初めに来日し、都内や北九州でSAPIOを含む内外の報道・言論機関と会見し、2002年以来続けてきた中国政府との交渉の決裂を宣言、胡錦濤政権への失望感を表明した。11月下旬にはインド北西部ダラムサラのチベット亡命政府に世界各地のチベット人600人以上が集まり、今後の対中方針を決める特別会議が開催された。ダライ・ラマが主張する「中道路線」を堅持する方針を確認し、それを受けてダライ・ラマはブリュッセルなど外遊先の欧州各地で、再び激しい中国批判を展開した。09年3月は中国によるチベット統治に反対する民衆が蜂起し、ダライ・ラマがインドに亡命するきっかけともなった「チベット蜂起」の50周年の節目に当たる。約200人ものチベット人が殺された08年3月のチベット騒乱以上の大きな混乱が予想される。09年こそがチベット情勢の山場なのだ。ダライ・ラマの一言一言はチベット人の行動を大きく左右する。ダライ・ラマと親交の深いジャーナリスト・茅沢勤氏が直近の会見内容をまとめた。
私の中国政府への信頼感は日増しに薄くなっている。中国は13億の人口を擁し、経済的、軍事的規模からも超大国だが、胡錦濤政権には超大国として当然持っていなければならない道徳観が欠如している。チベット問題を含め、人権や宗教の自由が弾圧されており、表現、言論の自由もない。胡錦濤政権は世界の国々から尊敬を得るため、これらの分野に関心を払わなければならない。彼らが唯一信じるのは圧政と銃だけだ。これは完全な間違いである。
中国との交渉についていえば、開始当初の1980年代初め、われわれはいくつかの希望を見出していた。最高実力者の鄧小平氏や胡耀邦中国共産党総書記とは極めて開放的に自由に討議できた。彼らは改革志向を持ち、われわれは強い期待を抱いた。だが、86年末から87年初めにかけて、中国全土の大学で民主化運動が起き、胡耀邦総書記が失脚した。中国国内の雰囲気は極めて保守的に変わり、チベットでも89年にはラサなどに戒厳令が敷かれるなど、事態は悪化した。
02年に再開された交渉では中国政府の対チベット感情も緩和し、07年2月の第5回交渉まではいくらかの進展があり、友好的でオープンな雰囲気で話し合うことができた。第5回交渉では、中国側代表が「ダライ・ラマはチベットの独立を求めておらず、中国を分裂させるつもりもない」と語っていたくらいだ。
われわれは最高指導者の胡錦濤国家主席に強い期待を抱いた。ところが、07年6月の第6回交渉が決裂すると、中国側の態度は強硬になり、私を「分裂主義者」と非難するなど、もはや話し合う雰囲気ではなくなった。08年3月のチベット騒乱以降は、中国政府は話し合う予定はないと、交渉を全面的に中止した。その後、国際世論の圧力によって再開された第7回交渉(7月)、第8回交渉(11月)のいずれも成果はなかった。
中国側はチベットの現実を無視している。温家宝首相は最近、米誌『ニューズウィーク』のインタビューで、「ダライ・ラマはチベットを中国から分離させようとしている」などと激しく批判したが、私は温家宝首相に直接、その根拠をただしたい気持ちだ。
中国政府はチベット亡命政府に人員を派遣して、私が本当にそういうことを言ったのかを調査してほしい。私は講演のテープや文書など必要なものはすべて提供しよう。中国側は調査もしないのだ。私がそのような主張をしていないことは、米国も国際社会も、中国政府を除いてすべての人が知っているはずだ。
昨年3月の大規模デモ以来、チベット内部の状況はまったく好転していない。われわれの話し合いはチベット内部に何も影響を与えることができなかった。私は今後、このようなやり方を続けることが難しくなっている。チベット内部で私に批判が出てきた。私自身、中国に対する信頼がますます薄くなっている。彼らのやり方は、チベットに死刑宣告するようなものだ。
私は失敗を認めなければならない。私は人々に、今後どうしていくべきかを問うことが自分の責任だと思っている。私が発言すると、誰も発言できなくなる。私は会議では沈黙を貫くことにした。
会議では、さまざまな意見が出て、特定の問題については白熱した議論が展開されたと聞いている。しかし、最終的に私の「中道路線」が信任されたことは歓迎すべき正しいことだ。ただし、自治の重要性が認められたのは、私の主張に影響されたからではないだろう。全面的な独立を求めることは現実的ではないからだ。今後も非暴力を貫き続けることによってのみ成功は導き出されるのである。
それでも、このような困難な時期に、会議参加者たちが私に全幅の信頼を置いてくれたのだから、私にとって引退の道はなくなった。私は死ぬまで自分の精神的、宗教的な責任を果たさなければならない。私がこの世から消えるまで、引退する気はない。しかし、私も人間だ。人権もある。多くの政治的な決定は亡命政府の首相に任せたい。私は最高顧問的な立場であり、半分、引退している。そして、いつかチベットに帰還を果たし、ある程度の自由を得たときに、私は自分が持つすべての権威を引き渡したい。これが、完全な引退のひとつの方法だ。
私は20年も前から後継者問題を考えてきた。チベットの民衆がダライ・ラマ制度の存続を望む場合の可能性のひとつとして側近たちと検討してきたのが、私が存命中に次のダライ・ラマを選出するということだ(※本来、ダライ・ラマは輪廻転生する)。チベット仏教の高僧から民主的に選出する、私が後継者を指名するなどの方法が検討された。ただ、これはあくまでも可能性の問題であり、私と側近数人の集まりで協議されたもので、チベット民衆に公表して可否を問うという本格的な段階には至っていない。
中国政府は、われわれが選んだパンチェン・ラマ10世(※チベット仏教ナンバー2)の後継者の代わりに、他の後継者を認定したが、中国政府の官吏ですら、中国政府認定のパンチェン・ラマを「ニセのパンチェン・ラマ」と呼んでいる。もし、私の死後に中国政府がダライ・ラマの後継者を選出したとしても、チベット民衆は支持しないだろう。そのようなことはまったく無駄であり、何の助けにもならないのだ。
時代はいまや世界平和と人類の慈悲の拡大について、女性に大きな責任を持たせようとしている。これは私も同感だ。それゆえに、ダライ・ラマ14世が輪廻した後継者は女性になるかもしれない。
後継問題もそうだが、とにかく今後20年において、われわれは行動と計画に最大限の注意を払わなければならない。そうでなければ、チベット社会に大きな危機が襲いかかることは間違いない。いまもチベット固有の遺跡や伝統的な文化、言語、宗教などが消滅の危機に瀕している。
中国指導者への信頼が薄くなっても、私の中国民衆に対する信念はまったく揺らいでいない。だからこそ、私はチベットの人々に、中国の民衆と手を取り合うよう努力しなければならないと助言してきた。私は中国の指導者が言うような「分離主義者」ではない。私が接してきた多くの中国人は、真実を知ったときに、われわれに対して非常に協力的になった。半面、自分たちの政府に対して批判的になりさえする。いまこそ中国の民衆と手を取り合って、チベットの平和実現のために努力しなければならない。
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