【支那】2012・上海閥復権?
2012年胡錦濤引退で「反日」上海閥が復権する
(2008年9月22日(月)0時0分配信 SAPIO)
掲載: SAPIO 2008年8月20日・9月3日号
文=茅沢勤(ジャーナリスト
中国政界では、「反日」も「日中友好」も政争の具にされてきた歴史がある。胡錦濤政権は、発足当初は江沢民・前政権からの転換を目指して「親日政策」に舵を切った。それが頓挫し、“先祖がえり”の反日政策に転じているのはなぜなのか。中南海の深層に詳しいジャーナリスト・茅沢勤氏がレポートする。
今年3月14日午前、北京の日本大使館の大使執務室は重苦しい空気に包まれていた。
翌15日午後、北京の中国人民大学で行なわれる「中日青少年友好交流年」の開幕式に出席予定だった温家宝・首相が急遽、欠席を通告してきたのだ。ドタキャンだ。
その理由について、温家宝弁公室(事務所)は、
「よんどころない急用」
とだけ弁明し、「急用」の具体的な内容は言わなかった。
中国の最高指導部の日程は、事前に確約している場合でも、直前までどうなるか分からない。特に、胡錦濤・国家主席や温首相ら党や政府のトップの予定は直前まで明らかにされないのが通例だ。
しかし、この開幕式は5月初旬の胡主席の日本公式訪問を直前に控え、大事な意味を持っていた。小泉政権時代に悪化、その後の安倍晋三政権、福田康夫政権によって改善された日中関係のきずなを完全なものにする意味を持つ重要な公式行事だ。
このため、大使の宮本雄二は、これまで培った中国側とのパイプを使って、温首相に出席を要請。中国側も温首相の分刻みの日程を空けて配慮を示したのだ。
ところが、あっけないドタキャンに、宮本は頭を抱えた。それこそ「頭が真っ白になる」という表現がぴったりだったろう。大使館幹部は温家宝事務所に日程の再調整を要請したほか、あらゆるルートを使って、他の要人の出席を懇願した。その作業は真夜中まで続いたが、中国からは満足のいく返事を聞けなかった。
深夜、失意のまま公邸に戻った宮本だったが、翌朝出勤し執務室に入ると、デスクの電話が激しく鳴り出した。
電話に出ると、
「胡錦濤弁公室です。胡主席が今日の中日青少年友好交流年の開幕式に出席されます」
と電話の主は告げたのだ。
当時の宮本の、小躍りしたい気持ちは想像に難くない。
午後からのセレモニーには、約束どおり胡主席が出席し、北京市内の中国人民大学の会場で「友誼の木」を植樹、日中の大学生らが参加した書道交流にも姿を見せるなど、場を盛り上げた。
胡主席は帰り際、宮本に、
「温家宝総理は全人代(全国人民代表大会)に出席しなければならず、チベット問題にも対応しなければならない」
と、詫びの言葉まで付け加えた。
チベット自治区ラサでは14日午後からチベット仏教の僧侶やチベット族の青年らが最高指導者ダライ・ラマ14世の帰還やチベット独立などを求めて、中国政府機関や漢族経営の商店などを襲い、投石や放火をするなど大規模な暴動が発生していた。折から全人代も開会中で、温首相が多忙を極めていたのは事実。
しかし、北京の中国筋は、
「温首相という政府のトップが地方の騒乱でいちいち外交上の重要行事をキャンセルしたら、きりがない。14日の時点で、自治区当局や解放軍、武装警察部隊などに指示をするなどチベット問題にはすでに手を打っていたはずだ。全人代も分かっている予定だ。しかも、胡主席が5月に訪日するのに、これらを理由に日中関係の重要行事をキャンセルするのはおかしい」
と述べ、チベット問題や全人代がドタキャンの理由ではないとの見方を示す。
「温首相に対して、何らかの政治的な意図が働いたはずだ。胡主席と対立している上海閥、すなわち江沢民・前主席からの圧力しか考えられない」
同筋は断定する。
江沢民といえば、極めて反日的な思考の持ち主である。国家主席時代の1998年に訪日した際、靖国神社参拝中止や「正確な歴史認識」を強く迫ったことで、日本の世論が強く反発した経緯がある。また、江沢民は日中戦争時代の中国人殺戮を強調した抗日記念館を中国全土に建設するなど、「愛国主義教育運動」を推進したことで知られる。
小泉政権時代は小泉首相が靖国神社を参拝し続けたことに中国側は強く反発し、日中関係は「最悪」と言われるほど冷却した。2005年春には中国全土で反日デモの嵐が吹き荒れ、北京の日本大使館や上海の日本総領事館に暴徒が押し寄せた。「江沢民や上海閥が民衆を煽っている」との憶測が流れたほどである。
それに対し、江沢民の後任の胡主席は、発足当初から「日中関係の新思考」を打ち出し、江沢民政権とは逆のベクトルを目指した。これに「江沢民は激怒した」と北京の外交筋は明らかにしている。
胡錦濤に抜擢された 王毅が上海閥に寝返り
現在も胡錦濤と江沢民の勢力争いは続き、それが中国の対日政策を混乱させている。江沢民率いる上海閥に対し、胡錦濤は自らの出身母体でもある中国共産主義青年団(共青団)を政治基盤とするグループを築いて、暗闘を繰り広げてきた。
その象徴とされているのが昨年7月、上海閥の若手リーダーだった陳良宇・上海市党委書記の逮捕劇だった。陳は党籍を?奪され、すべての公職を解任されるという極めて重い処分を受けた。
江沢民ら上海閥幹部は地元・上海を土足で踏みにじられ、次世代のリーダーを血祭りに上げられたことで、切歯扼腕した。
しかし、その胡主席の攻勢は長くは続かなかった。上海を舞台にした汚職の捜査はまったく進展せず、陳の判決が出たのは逮捕から8か月も経った今年4月11日で、量刑は懲役18年と、当初予測の「死刑」あるいは「少なくとも無期懲役」からすると大幅に軽いものだった。
「収賄額は1000億元でもおかしくないのに、判決で認定されたのはたったの20億元で、陳の罪状は過小評価された。懲役18年なら5~6年で釈放されてもおかしくない。上海閥が司法当局に圧力をかけたことは明らかだ」
中国筋はこう分析するとともに、
「この事件で胡錦濤の政治基盤が脆弱なことが証明された。昨年10月の党大会で、総書記候補だった胡直系の李克強(党政治局常務委員)がはずされ、江沢民に近く、陳の後任として上海市党委書記を務めていた習近平(同)に総書記の座をさらわれたことで、もはや胡錦濤閥の天下は次の党大会の2012年までだろう。その後は再び上海閥の復権だといわれている」
と、みる。
事実、党大会前後から上海閥の攻勢が強まっている。温家宝首相の「ドタキャン事件」もしかり。さらに、胡主席を驚かせたのは、長年の腹心で、対日政策のブレーンだった王毅・前外務次官までもが寝返ったことだ。
王毅といえば、昨年夏まで駐日大使を務め、日本の政財官界などに太いパイプを持つ知日派。中国外務省帰任後は胡主席によって筆頭外務次官に抜擢され、共産党外務省委員会の最高実力者として外務省を支配してきた。
しかし、胡主席の対日政策ブレーンであることから、王毅は江沢民ら上海閥による攻撃の格好の標的にもなっていた。
5月の胡主席の訪日前には、
「胡主席の講演に、日中間の歴史認識の確認を入れろ」
などと恫喝まがいの嫌がらせを受けていたという。
「日中友好政策を主導するのは、今後の出世に不利」
王毅はこう判断したのだろう。ついに江沢民ら上海閥に膝を屈し、自ら中国国務院台湾弁公室主任(閣僚級)転出を懇願したのである。
台湾関係機関は江沢民ら上海閥の牙城である。台湾との民間交流機関、海峡両岸関係協会会長だった汪道涵は江沢民が師と仰ぐ人物であり、今回の人事で、江沢民に近い陳雲林・同主任が同協会会長に就任。党の台湾政策を決定する最高機関、対台湾工作指導小組のトップは胡主席だが、実務を担うのは上海閥のなかでも江沢民に極めて近い賈慶林・副組長(全国政治協商会議主席)であり、秘書長の戴秉国も江沢民寄りとされる。
そこに、胡主席の腹心と目されてきた王毅が自ら望んで転出するのだから、「寝返り」は明らかだった。
軍部は反日・反米強硬派が胡錦濤を無視して暴走
それだけではない。王毅同様、胡主席の対日政策ブレーンで、今年3月まで外交政策の最高責任者だった唐家?・国務委員(副首相級)が7月2日、親中派の二階俊博・自民党総務会長と会談した際、
「胆のうの病気で入院治療中」
と語っている。
これについて、信頼すべき中国筋は次のように明かす。
「唐も胡主席と極めて近いだけに、上海閥の攻撃を受けていた。これ以上、胡主席と近づかないほうが身のためとの判断を下したとみることができる。復権しつつある江沢民ににらまれたくないのだ」
唐は日本大使館公使、外務次官、外相、外交担当の国務委員と、外交畑で華麗なキャリアを積んできた。特に対日関係で胡主席に直接進言できる発言力を持つ。「入院」は「政治的な病気」(同筋)との観測が流れるのも当然だ。
四川大地震の際、被災者への救援物資を輸送するため航空自衛隊のC130輸送機など自衛隊機の中国派遣が断念せざるを得ない状況に追い込まれた背景には、そうした「親日政策打倒」の動きがあったとみるべきだ。「追加支援がほしい。物資を運ぶのは自衛隊であっても構わない」と要請したのは中国側であり、断念の理由は「中国の反対世論に考慮した」と説明されているが、中国政府筋は、
「軍部が強硬に反対したことが最大の理由だ」
と明かしている。
軍部はもともと反日感情が強く、その実権を掌握しているのが上海閥であることは周知の事実だ。実際、軍部が胡主席の意向を無視して独走している節がある。
1つは昨年11月、米空母「キティホーク」が香港へ寄港を要請したが、中国側が拒否。米側は将兵らが感謝祭の休暇を香港で過ごすこと、折からの台風で危険があったことなどを理由に中国側を批判するや、中国政府は一転して寄港を許可したものの、キティホークはすでに別航路に就いていた。最初にキティホークの寄港要請を拒否したのは軍部の対米強硬派であり、一転して寄港を許可したのは胡主席を筆頭とする文民指導者との見方が、在米の中国専門家の間では定説だ。
また、昨年1月、中国が地上発射の弾道ミサイルで老朽化した人工衛星を破壊する実験を行なった。米側は「衛星の破片が他の衛星に当たれば損傷を与える」などとして、中国政府に事実確認を求めたが、中国側からは返答がなかった。米政府高官は「胡錦濤指導部が軍から事前に報告を受けていなかったのではないか」との見方を示したと伝えられる。事実なら、「軍の独走」ということになる。
軍が従わず、上海閥の攻撃にさらされている胡錦濤政権の政治基盤は極めて脆弱であるといわざるを得ない。
その胡主席は、5月の日中首脳会談で「青少年交流」を促進することで合意した。江沢民の反日的な愛国主義教育を潰すには交流の実績を作るのが得策との考えだ。かつて、同じように「日中青年交流」を掲げたのが、胡主席が師と仰ぐ胡耀邦・元総書記だ。しかし、胡耀邦はこれを失政と批判され、失脚の憂き目を見た。現在の中南海を見ていると、胡主席が胡耀邦と同じ道を辿らないとは必ずしもいえなくなってきた。
(文中一部敬称略)
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