宮崎勤死刑執行
宮崎勤死刑囚への執行…鳩山法相「絶対に誤りはない」
(2008年6月17日(火)17時12分配信 夕刊フジ)
東京都と埼玉県で1988-89年にかけて4人の幼女が犠牲になった連続幼女誘拐殺人事件で、誘拐や殺人罪などに問われ、死刑判決が確定した宮崎勤死刑囚(45)=東京拘置所=ら3人について、法務省は17日、死刑を執行した。宮崎死刑囚の刑事責任能力をめぐる裁判は約16年に及んだが、執行は判決確定から約2年4カ月後だった。鳩山邦夫法相による死刑執行は昨年12月以降4回目で、計13人。これで未執行確定囚は102人となった。
鳩山法相は記者会見で3人の刑執行について、「いずれも言語を絶する残忍で、遺族には無念この上ない事件。慎重にも慎重な検討を加え、数日前に執行を命令した。絶対に誤りはない」と述べた。
確定判決によると、宮崎死刑囚は88年から89年にかけ、埼玉県入間市、飯能市、川越市で当時4歳の幼稚園児2人と7歳の小学1年の女児、東京都江東区で当時5歳の女児を連れ去り、殺害。遺体を切断したり、骨を焼いたりした。
同年7月、東京都八王子市の女児に対する強制わいせつ事件で警視庁に逮捕された宮崎死刑囚は一連の犯行を自供。「死体を撮影した珍しいビデオを持ちたい」という異常性や、遺族宅に骨を入れた段ボール箱を置いたり、新聞社に「今田勇子」名で犯行声明を送りつけた特異な手口が社会に大きな衝撃を与えた。
公判では、1審東京地裁が2度にわたり精神鑑定を実施。完全責任能力を認める「人格障害」、責任能力を一部否定する「統合失調症」「解離性同一性障害(多重人格)」と3通りの精神鑑定書が提出された。
地裁側は「人格障害」の鑑定を採用し、死刑を言い渡した。東京高裁、最高裁も完全責任能力を認め、2006年2月に死刑が確定した。
1990年3月の初公判では「覚めない夢の中でやったような感じだ」「女の子が泣きだすとネズミ人間が出てきた…」と話し、その後も意味不明な言動を続けた。
2006年1月の最高裁判決の直前には「無罪です」「良いことをしたと思います」と記した手紙を共同通信に寄せた。判決当日には東京拘置所で臨床心理士に面会し、判決を聞かされると「そのうち無罪になります」と答えたという。この約1カ月後に出版した著書では、最高裁判決を「『あほか』と思います」と批判し、判決が大きく報道されたことには「やっぱり私は人気者だ」と記していた。
その後、月刊誌編集長にあてた手紙には「絞首刑は恐怖で残虐。薬を使った執行でなければいけない」とあり、薬物使用の場合は「余裕があり、反省や謝罪の言葉を述べる確率も断然高い」とも書いていた。死刑を強く意識したまま、執行の日を迎えたとみられる。
宮崎死刑囚のほかに執行されたのは、東京・品川の風俗店主殺害事件の陸田真志死刑囚(37)=東京拘置所=と宮城、香川両県で主婦2人を殺害した山崎義雄死刑囚(73)=大阪拘置所。
「有名すぎて」執行までの時間がかかった、のだろうか。オウム裁判では反面教師とされているようだが…
ま、どちらにしても廃止は時期尚早だろうね。
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