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2008年6月17日 (火)

【転載】宗派を超えて

(ここから)
宗派を超えてチベットの平和を祈念する僧侶の会発足。
(2008/6/17(火) 午前 7:35)

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中国で起きた、チベット僧への弾圧事件。四川で起きた大地震の影に隠れて報じられる事が無くなりましたが、チベット僧に対しての弾圧が無くなったわけではなく、それは現在進行形で続いているものです。
この問題に対し、日本の仏教界から上がった声はそれほど大きいものでは有りません。

(中略)

長野での聖火リレーのスタート地点であった善光寺の『スタート地点返上』
中国のコキントー氏の奈良訪問にあたり、奈良の十輪寺でチベットで亡くなった方々の法要が行われたくらいでしょうか。

中でもいち早くチベットでの弾圧行為を非難する声を上げられた、書寫山圓教寺、大樹玄承師。その勇気に対し感銘を受け、また、想像される非難の声などに対して、たとえ小さな声でもと思い、応援メールを送った次第です。

その書寫山圓教寺、大樹玄承師から、本日、お返事のメールを戴きました。恐らく、送られたメール一つ一つに返信なさっているのでしょう。私が送ったメールに自ら文章を書いていただいておりました。
メール内容は、たとえ同じ内容であったとしても、『私信』として公開するわけには参りません。しかし・・・

そのメールには『宗派を超えてチベットの平和を祈念する僧侶の会発足』のお知らせがあります。

せめて、私は、その会の存在を広める役割でも担えないかと考えた次第です。

宗派を超えてチベットの平和を祈念する僧侶の会は以下のHPで活動をされています。↓
宗派を超えてチベットの平和を祈念する僧侶の会

一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。

(スッタニパータ)

私たち「宗派を超えてチベットの平和を祈念する僧侶の会」は、今現在、中国政府の圧政下にあるチベット人の生命、人権、文化、言語、民族性消滅の危機を深く憂慮し、ブッダの大悲に根ざす正当な怒りによって強く訴えます。

私たちは、この危機が、人類の叡智であるチベット仏教への蹂躙(精神の虐殺)として進行している事実から、チベット問題は私たち仏教徒のみならず、人類全体が直面している慈悲(愛・憐れみ・仁)の危機を象徴していると考えます。

したがって、私たちは、チベット問題の平和的解決に取り組み、これを成し遂げることは、日本社会における弱者、自殺やいじめ問題の解決はもとより、世界各地に蔓延する暴力と格差と貧困の克服への道と、深く重なり合うものであると考えます。

チベット問題の克服とは、人間性を蹂躙する物質主義に偏る現代世界に、慈悲の価値を再びよみがえらせることにほかなりません。

したがって、私たちはダライ・ラマ14世の提唱する、非暴力と対話による解決を心から支持し、ともに慈悲の精神をもってこの問題の平和的な解決に取り組みます。

私たちは、中国政府に対して、今こそ真の友好精神に則って、ダライ・ラマ14世との直接対話を求めます。

また日本国政府に対しては、この歴史的な対話の舞台を用意することを求めます。

世界に慈悲を再生するために、平和国家である我が国は今こそ行動を起こすべきであり、その歴史的な役割を十分に果たしうる力を有していると確信します。

この具体的要望は、私たちが今後も提唱する慈悲心発揚の一環です。

今、多くの日本人が四川大地震の被災地復興の支援活動を展開しています。

中国政府をはじめ、中国の皆さまは、チベット問題の平和的解決を願う私たちの行動も、被災地復興を願う行動と、まったく同じ慈悲の精神より発動していることをご理解ください。

チベット問題の平和的解決がもたらされれば、全世界は中国への賞賛を惜しまないでしょう。

それこそが21世紀の中国にとって、真の幸福をもたらす道であると信じます。

私たち日本人僧侶は、ここに宗派を超えて結集し、中国政府、日本政府に対し、チベットにおける真の平和と自由を実現する、日本における直接対話を強く求めます。    

合掌

平成20年6月6日

宗派を超えてチベットの平和を祈念する僧侶の会

私の父の家系は、代々僧侶であったそうです。少なくとも父の曽祖父(私の高祖父)の代までは。明治の廃仏毀釈の際、『験力がある』といわれていた私の高祖父は、寺も住む場所も奪われ、家族を連れて隼人の土地に逃れて来たのだとか。隼人に追われても、僧侶としての活動を辞めなかった。その高祖父は、浄土真宗の僧侶であったとか。
薩摩藩において、浄土真宗(一向宗)が禁教であったという事を知ったのは、比較的最近のことです。
薩摩藩で禁教であった浄土真宗の僧侶として活動していた我が祖先、恐らく『迫害されていた』というような事があったとしても不思議ではありません。
そんな中でも、信仰を捨てず、活動を続けた我が祖先。たとえ無名な人物であるとしても、私は尊敬しています。その先祖の血が、私に流れている事を、私は誇りに思います。

そして、今。

チベットで迫害されている僧侶の方々が、我が祖先に重なって見えてなりません。

どうか、この活動にご賛同くださりますよう、願わずにいられません。

チベットに自由を!!フリーチベットブロガーズ

08年6月16日:追記。
このブログのURLを、書寫山圓教寺、大樹玄承師にお知らせし、ブログでの紹介について、お許しいただけるか連絡いたしましたところ、お返事を戴きました。
ブログでの紹介について、ご許可を戴きましたので、この記事を転載可とさせていただきます。
大樹玄承師から教えていただいた事があります。

薩摩での廃仏毀釈、神仏判然令の動きは厳しいものでした。江戸時代に仏教の宗団が、キリスト教禁教、
迫害と同じように1宗団に対してあったことなど殆どの日本人はしりません。
薩摩藩の資料は豊富で、様々なものが残っていますが、30歳までの坊さんは、富国強兵のもと兵役に就かせる。
30から45歳までは、役場に勤めさせるか、教員。それ以上の年齢のものは、勝手にせい!と言うことでした。長くなくその内死んでしまう、と言うことでしょう。

我が家の墓所の最初に書かれている、僧侶をしていた先祖。その年齢からすれば、廃仏毀釈の頃には、『役場に勤めさせるか、教員』の年齢であったはず。ところが、寺も住む家も壊され、追い払われた・・・。恐らく、薩摩藩で禁教であった浄土真宗の僧侶であった我が先祖は、薩摩藩から、明治維新を迎えた後の政府からも目を着けられていたのでしょう。
それでも、新しく移ったところでも信仰を捨てず、勧進を募って寺を建てています。私の曽祖父の代まではその寺との関わりはあったようですが、何かあったのでしょう。今は全くかかわりがありません。
こうして振り返ってみると・・・

過去も、未来も重なっている。
現在弾圧されているチベット僧の向こうには、かつて弾圧された我が先祖の姿が見えるようです。

『宗派を超えてチベットの平和を祈念する僧侶の会』では、6月18日に東京の増上寺で法要を行うとのこと。

どうか、この活動にご支援を戴きますようお願いします。

(ここまで)

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