Time Up:十四.守るべきもの(中)
――酒井です。
「田村です。ご無沙汰しています……井出さんが急死されましたね。心臓発作との発表でしたが……」
――……実は稲生課長補佐のルートに名前が出てね。問題は情報を独断で稲生氏に流したことと、試合前夜、急に総聯幹部、それもあの魚珍禹派の人物と接触したんだ。
「よく察知しましたね。警察のスパイでもいたんですか?」
――いや、今回は先方がリークしてきたんだ。近年の日朝関係悪化、本国の経済破綻などに乗じ在日社会の一部を日本側が抱き込んでいて、その中の外事ルートに通報があった。尤もこの外事ルートだが厳密には警察じゃない、外務省国際情報局だ。
「国際……情報局?」
――国際情報局分析第二課(アジア・アフリカ・中近東担当)。情報収集が専門で省外の人材も受け入れていてね。肩書はあくまで外務省なので相手の警戒も緩く、警察では得にくい情報も……それによると近年相次ぐ後妻の病死や高官の事故死も全部謀略でもおかしくないそうだ。黄副主席は総書記の三男・金正云(キムジョンウン)の後ろ盾だったらしいし。
「お家騒動ですか」
――異母兄の金正南は、人妻に金正一が手をつけたという生い立ちも災いし、人望はなくてね。金正一はそれを承知で後継者に考えているが、貸しを作り、スターリン批判や四人組裁判のように自分の業績が抹殺されるのを防ぐためだろう。
ただ、政府も極秘処理するらしい。内通者の存在の他にワシントンも絡んでいてね。
「本当ですか?」
――サロメと盧通商部副部長の直接接触をセッティングしたのは、実は民主党のジョシュ・ゲッパーズ……
「ビル・ケインが出馬した、前回の大統領選挙参謀……?」
――そう。敗北直後に解任されたがその後側近に復帰、次期選挙での雪辱を期していると言われている。
「しかしまさか?確かに民主党は親朝的ですが……」
――同性愛経歴問題で度を失ったかな。もしゲッパーズの独断でないとなれば、ボスのケインも終わりだろうが。
「アメリカが知っていたとすれば、当然周辺諸国も?」
――そう、それぞれ手は打ちながら、ね。北の数倍もの韓国警備陣然り、北京の盧康徳急死然り。
「そう言えば徳田信枝へのリークも旧ソ連工作員でしたが……しかし井出さんも機密保持には留意していた筈ですが、リークした人間でもいたんですかね?」
――……
「工藤君を競技場に閉じ込めたのも、その一環ですか?」
――……
「しかし、それでも動きがあったということは……」
――魚珍禹派とのパイプは公安だ。工藤君は小田君の監視だけだったから不問に付すとして、狙撃犯侵入を許した失策は看過できない。公傷と相殺し賞罰なし、一、二年頭を冷やしたあとは本人次第だね。
「局長の急死も、どなたかのご指示だったのでしょうか?」
回線を暫時の沈黙が支配した。受話器の向こうの酒井は今どんな表情、どんな心境でいるのだろう?
――ちなみに当日の両首脳退避……再確認したら実は鄭の電話の直後、小田君に進言した人物がいたんだ。
「本当ですか?誰だったのでしょう?」
――裵中佐だよ。
「なるほど……確かにあの時、我々にそこまで判断する余裕はなかった。それもまたこの事件の教訓でしょうか……空席になった警備局長職を辞退されたとか?」
受話器の向こうで酒井が苦笑した。
「大野新警備局長が残念がっておられました。白馬山荘の現場にもおられたそうですね」
――一区切りつくまで現場で見守るべきと、考えたまでだ。
「……今後対朝外交はどうすべきなのでしょう?」
――制裁新法全面施行。それが第一歩だな。あちらは依然毎年数百万人が餓死、時間的余裕もあまりない。先年の王氏、今回の黄副主席と要人も国を捨てる一方だし。
「黄副主席……大阪での出国劇は鮮やかでしたねえ」
事件後予定通り関西を訪問した黄副主席はホテルで記者会見の席上、突然アメリカへの亡命意思を表明。蒼白の総聯関係者の制止を振り切り、いつの間に現れたアメリカ領事館関係者共々、府警の他自衛隊・駐日米軍までが警戒する中関西国際空港へ直行。全てあらかじめ打ち合わせていたかのように迅速で、北朝鮮政府が非難声明を出した時は既にホノルルへ東進する機上にいた。内外の反響は大きく、魚、黄という重鎮を相次いで失った金政権崩壊の秒読みを始めるメディアもある中、日朝両国政府だけが不自然な沈黙を守っていた。
当日の試合直前、六万円でチケットを買った男は、作成されたモンタージュ公開で在日朝鮮人と判明。安智鉄(アンチチョル)。あの試合にも出場した安智平の弟だが五月以降行方不明。家族には総聯の用事で他出する旨連絡があり、在日社会ではよくあることで沈黙を保っていたが、今回のモンタージュ公開で遂に通報してきたのだった。新潟住まいの安智平に不審な動きはなく、計画への関与はないと外事は推測していた。
「警官の妻、北のトップを狙撃……見破れなければ大変でしたね。今回は、付け入る隙を与えずに済みましたが……北はまたこういう陰謀を仕掛けて来ると思われますか?」
――当分は大人しくしているだろうが……中国も北京の吉川典子病死や魚珍禹急死など、黙認していた可能性が大だ。かと言って日本が解明を試みれば……
「歴史問題を持ち出し横槍ですか。さっさと……」
――無駄だよ。中国に、歴史問題を決着させる意思はない。
「カード……ですか」
――尖閣諸島問題や反日暴動……対日政策全てに使えるのだから。日本が誠意で対応する限り……
「……」
――潮時かな。台湾問題も含め、あらためて考えるべきだね。
「アメリカや韓国はどうでしょう?今回の件が政策に影響する可能性は?」
――歴史をカードにしている点は韓国も同じだしねえ。アメリカだって、また民主党政権にでもなれば……
「結局、日本が自力で対処するしかないと?」
――独力で有事に対処できてこその危機管理だからね。尤も、近年のアジア情勢下で国民の意識も変わりつつあるし、今後はその行方次第だろうが。
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コメント
コメントいただき、ありがとうございます。小説、才能の大きさに驚かされます。ぼくが編集者なら、本にしたい、そう思って、いつも拝見しております。お互いに継続は力なりで頑張りたいものですね。
投稿: つき指の読書日記 | 2008年5月30日 (金) 22時06分
こちらこそコメントありがとうございます。一応形ばかり刊行はしたのですが、初めてだったこともありあまり日の目をみることもなく…。その後一度再刊行も検討しましたが予算の都合から頓挫。世の中ままならぬものです。今後ともよろしくお願い致します。
投稿: 中谷 裕 | 2008年5月30日 (金) 22時21分