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2008年5月 1日 (木)

Time Up:九.攻勢(下)

 同時刻、ホテル四階。
 トイレから警備連絡所に戻る原がふと見ると、通路の灰皿を前に柳沢が一人、紫煙をくゆらせていた。
「『出世したければやめろ』。言われませんでしたか?」
「自分もまだ出世できるんですか、警視?」
「……」
「……すまない。君に愚痴るのは筋違いだったな」
「いえ、自分でよければ……一本頂けますか?」
 原の言葉に柳沢は微笑、火を点けてやった。
「研修以来ですね」
「そうだな」
「あの頃は小田さんや柳沢さんが目標でした。それが……」
「またその話か?第一、私は不祥事に連座……」
「いいえ、自分は当時警務部にいたので知っています。あの査問自体……」
 そこへ工藤が慌しく現れ、原は口を閉ざす。工藤の手には携帯電話があったが二人に気づくと慌ててしまい込み、足早に駐車場方面へ去っていった。
「それで考えるようになりました。自分が警察官として一体何をできるか、何をすべきか」
「それでも続けてるじゃないか?」
「『今やるべきことをやるしかない』。そう自分を納得させているだけですよ」
 通路の向こうには、ホテル棟六階分の吹抜けがある。一階のカフェテラスも営業を終え無人、六階から淡く降り注ぐ照明が巨大な空間を静かに照らしていた。
「標的は最初から黄副主席だったとか?」
「……君は専門家として正直なところ、どう思う?」
「充分あり得ますね。裏付け中で具体的には言えませんが、今になると思い当たる点もあります。本来なら我々が最初に気づくべきでしたが」
「敵さんがそれだけ上手(うわて)だったということさ。それより……大きな声では言えないが、大丈夫なのかな?工藤君は小田さんの監視に熱心なようだし、加藤はあの状態だし」
「確かに、ここ数日の加藤課長の様子は気になりますが、任務に支障が出ているのですか?」
「いや、むしろ普段より機敏に動いてくれている。黄副主席もいよいよ明日横浜入りという今は、正直大助かりだ。でも私は普段の彼をよく知っているから、逆に不安なんだよ」
 原が唸り、二人はしばらく無言で、立ち昇る紫煙を目で追った。
「……黄副主席の国会演説は、大反響のようだね?」
「初めて戦争責任抜きで、拉致問題に言及しましたからね。尤も二〇〇二年の被害者初送還時も、日本側が永住帰国を決定すると、一時帰国だった筈と言って逆に拉致呼ばわり。それを考えると、今日の演説も我々は言葉通りに受け取れないんです。外務省は手放しで喜んでいますが」
「……まあいい。今やるべきことをやるだけと君は言った、それでいいんじゃないか?何が正しい答えか、それは一つだけなのか、気にしてばかりでは何もできまい?」
「ありがとうございます」
 原はそう言って笑顔を見せ、煙草を揉み消した。
「今日はもう休むのか?」
「いえ。裏付け作業がまだ途中ですので」
「大変だな。まあ、よろしく頼みますよ、警視?」

 五月十七日。
 工藤は競技場の全要員も動員、会場内外を最終的にチェックしていた。当日までの競技場詰めを小田に命じられたのは昨夜。直後電話で井出に確認すると、佐々木長官直々の指名だという。小田の監視は中断だが、今はこの任務完遂を出世の足がかりにと意気込んでいる工藤だった。
 二階スタンド最後部は狭い通路に囲まれ、屋根裏へは通路の数個所にある階段を上がって行く。大型スクリーン裏、変電室の囲いには施錠、当日は入口前の通路も封鎖予定だ。
 説明を受けながら見て回っていた工藤の足が止まった。
「あれは?」
 工藤が指した二階東側スタンド中央の屋根裏には、工場の監視室のようなブースがあった。
「ああ、あれですか。アメリカンフットボールで監督が入る指令所です。試合中はあそこから無線で、選手のヘルメット内蔵のイヤホンに指示するんだそうです」
「VIP席までの直線距離は?」
「そう、約百メートル……ははあ、狙撃されないかと?」
「……大丈夫ですかね?」
「どうでしょう?西側は死角で、東側は競技場スポンサーのエンブレムが正面を塞いでいますが……」
「場内設備の制御は?」
「防災センターを押さえていれば問題ありません」
「念のため、明日は警察の人間を詰めさせましょう。警備拠点にはいい位置です」
「夜間はどうしますか?」
「ゲートを押さえていれば大丈夫でしょう」
「わかりました」
 工藤はあらためてスタンドを見渡した。
 VIPや関係者を迎える区域、照明を含めた屋根裏、駐車場。ブースの警備補充は井出の耳に入れれば問題ない筈だが、訪日団に随行中の小田にも報告しておこう。事後で充分だろうとも思ったが、試合前日の無用な軋轢は、避けるに越したことはなかった。

 同日、神奈川県警は極東興産への令状を執行、中区の本社を始め十数ヶ所を家宅捜索。装甲車に、情報を聞きつけたマスコミまで押し寄せ、現場はどこも蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。
 そんな中、都内の日程を終えた黄副主席は首都高速横羽線経由で横浜入り。みなとみらい21地区を視察、夕刻新横浜に到着予定だ。科捜研では片桐幸子のDNAを鑑定中。ババ抜きよろしく結果を待つ捜査員の、一番長い一昼夜が始まった。東戸塚から見つかったビニール片の泥は斎藤が殺されたグラウンドと一致。二つの警官殺しは同一犯と断定、合同公開捜査に移行。斎藤も遅ればせながら警視正に二階級特進した。
 午後一時十二分、警視庁に通報。片桐幸子らしい女性が午後四時二十五分成田発台北行き中華航空一〇一便に搭乗するという。写真に走書きを添えたFAXの通話記録によれば、発進元は新宿駅西口周辺のコンビニエンスストアー。直前の離日に疑念を抱きながらも、警備本部は空港周辺に緊急配備を発令。だが新横浜の警備連絡所は、時を措かず警視庁から転送されてきたFAXに絶句した。そこに写っていたのは、中川早紀でも片桐幸子でもなかったからである。

 新東京国際空港第二旅客ターミナルに、千葉県警と新東京空港署の捜査員が張り込んでいた。搭乗手続が始まって彼らが焦りはじめた頃新宿発リムジンバスが到着、捜査員の一人が乗客の中に不審な男を発見した。男性にしてはほっそりしていて、帽子の下には大きなサングラス。捜査員達がばらばらと包囲、一人が問いかける。
「片桐幸子だな?」
 短い沈黙の後、男は返答の代わりに拳銃を抜き放ち発砲。脚に被弾した捜査員が崩れ落ち、男は関係者出入口の方角へ走り出した。悲鳴と共に逃げ惑う客を掻き分けターミナルビルを出た捜査員達は男の姿を見失ったが、次の瞬間ビルの陰から一台の作業車が凄い勢いで走り出した。運転席でさっきの男がハンドルを握っていた。サングラスが外れたその横顔は、FAXで送られてきた女だった。
 砂漠のように続く灰色の敷地を作業車は逃げ回り、追跡するパトカーがタイヤを撃ち抜かれ次々と脱落。一台の応射を受けパンク、バランスを失った作業車がスピンしながら傾き横転した次の瞬間
「止まれ!」
 怒号が無線に炸裂、次々と急停車したパトカーの鼻先をかすめ、垂直尾翼に梅の花を描いたジャンボ機が離陸滑走して行く。作業車から這い出した女が訝しげにこちらを見、爆音の下で捜査員が指すジャンボ機に振り返った彼女の顔が凍りついた次の瞬間、ナタリー・江は搭乗する筈だった中華航空一〇一便の前輪に轢かれ、血飛沫と共に無数の肉片となって路面に散らばった。
 新横浜の警備連絡所から、FAXの写真が片桐幸子ではないとの回答が現場に届いたのは、その直後だった。

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