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2008年5月 6日 (火)

Time Up:十.両刃の剣(下)

「サロメの動きも、考えれば不自然です。なにしろ、当の試合前日に香港へ飛ぼうとしたのですから」
「言われてみれば……しかし、では何のために?」
「香港に滞在中の重要人物……思い出して下さい?」
「……魚珍禹か!では、それが彼女の標的?」
「辻褄は合います。魚は計画の御輿(みこし)ですから。しかし、本気で狙撃を防ぐならまず狙撃犯を狙う筈だし、指令の電話一本で済むのを、その世界で有名なサロメに依頼したのも不自然です。実はこの魚珍禹、金一成存命中は金正一と対立、その後和解していますが依然危険な相手でね」
「なるほど。しかし君達は、サロメの動きからよくそこまで読み取ったなあ?」
「それじゃありません。最初に発表された総書記訪日の日程表です」
「日程表?別に不審な点はなかったと思うが?」
 小田はそれを聞いて表情をゆるめた。
「実は私も、先刻指摘されて初めて気づいたんだが……」
「……あっ、空路、か?」
「そう。大韓航空機爆破事件以降、金正一は絶対に飛行機を使いません。先年のロシア訪問も、数時間でひと飛びのモスクワまで特別列車で片道数日。なのに今回は……」
「用意されていたドタキャンか……」
「日本紅衛兵然り。北朝鮮は彼らにとって地上の楽園、なのに日朝親善試合が標的。真の標的が黄副首席と、彼らも知っていたと考えるのが自然です」
「昨日は未発表の黄副首席観戦に言及していたしな……それも平壌のリークかな?」
「でなければ第三国か。一課が各国大使館とエージェントの動静を観察中です」
「冷戦の遺産か。しかしそういう事情だと、警察だけでの対応には限界があるな?」
 小田はゆっくり頷いた。
「先ほど長官に電話を入れ、大至急総理のお耳に入れていただくようお願いした」
「観戦中止、か?」
「それも進言した。多分政治的判断も絡んでくるが、最悪の場合は直接説明する予定だ」
 小田はそう言い、真上を指した。
「話を聞いた黄副主席が信じるかな?」
「長年中枢にいて心当りの一つくらいはある筈だが、自ら犠牲を引き受ける可能性もある。我々ができるのは、他の選択肢を用意するくらいだな」
「黄氏は麻薬取引や通過偽造など違法行為にも関わっていたとか?例えばアメリカに亡命すれば刑事訴追の可能性もあるが、それを覚悟で決断できるかな?」
「それは黄氏に限りません。平壌のほぼ全幹部が何らかの違法行為に関わっていますし、司法取引なり恩赦なり知恵は出すでしょう。まあ賭けですが」
 原の言葉に無言で頷きながら、賭けか、と小田は思った。警備会議直前、三浦達哉死亡の参考人として鄭を手配した旨報道。NHKと大手各局はテロップだけだったが、「テレビ神奈川」はモンタージュを映像公開。それにしても重大任務の成否を、結局賭けに託すことになるとは……
「……だが全て事実なら、人間の考えることではないな」
 田村の表情は険しくなっていた。
「同感ですがこれが現実なんです。工作員は皆、日本人を人間と思っていない。だから我々もそのつもりで対する必要があるんです」
 磯貝は整った目元を寄せて言い、言葉を結んだ。
「浮田秀美の生体サンプルも分析を指示した。結果が出る頃は全て終わっているだろうが」
 小田はそう補足した。
「全てね……今回の相手は凄腕らしいが、当方は警察だけで対抗できるのだろうか?」
「最善は尽くしていますが、本当なら自衛隊の治安出動を要請すべきですね。空挺団とか、過日ようやく実戦配備の特殊作戦部隊とか。日本もそうして、独力で有事に対処できる一人前の国家になっていく筈です」
「なるほど。ところで片桐幸子も、自分の正体発覚はもう気づいている筈だが、それでもなお計画通りに行動しているのは、やはり家族の安全が理由かな?」
「恐らく。新潟・香川両県警にも連絡、片桐家、松嶋家と青葉区の浮田家に警備を手配した」
 小田はそう言ってから、再び表情を和らげた。
「お前も少し休めばどうだ?と言っても、あと数時間しかないが」

 十五分後、署長室に柳沢と加藤が呼び出されると、執務机の脇に小田が立っていた。
「至急、君達の耳に入れておくことがある……金総書記来日中止の第一報を聞いてどう思った?」
 小田がそう言うと、加藤が冷笑を浮かべた。
「また日本への嫌がらせでしょう。飛行機は嫌とか口実……」
「やめないか……ではやはりあのテープ通り、標的は初めから黄副主席だったのでしょうか?」
「そのテープだが……君達は勝手に解析したそうだな?」
「出過ぎました」
「結局それが突破口になったが、今君達は微妙な立場だ……わかるな?」
 小田は工藤がするような、頭ごなしの叱責はしなかった。それだけに柳沢達にはこたえた。
「申し訳ありません」
「話を戻すが、外事が気になることを言っている。本件は最初、つまり金正一訪日決定から全て計画的だったと……」
 小田の話を聞き終えた後、二人はしばらく無言だった。
「……自作自演ですか」
「外事はスケジュールを見てピンと来たそうだ……総理のお耳に入れたところ、自分も行くと言い出された」
「まさか――」
「盾になると仰ったそうだ。危険はお覚悟の上だろう。翻意いただくよう、なお手は尽くすが……」
「この話……当然極秘ですね?」
「会議には朝下ろす。署長もそういうことでお願いします」
「わかりました」
 二人が退室しようとした時、小田が柳沢一人を呼び止めた。
「何でしょう?」
「加藤刑事課長だが……ちゃんと食ってるのか?」
「は……あ?」
 机上に放り出された封筒を、取り上げてのぞいた柳沢は紙幣と同封の紙片にはっとし、取り出して一読すると強張った顔を上げる。射るようなその視線を正面から受け止めた小田は無言で頷き……
「士気に障る。何か食わしとけ」
「……承知しました。ご配慮、感謝します」

 同時刻、警察庁。
 佐々木は長官執務室で、静かに夜明けを待っていた。
 亡き後藤元官房長官創設の内閣安全保障室初代室長として官邸機能の充実にも尽力、退任から久しくして、またもの警察不祥事を機に計らずも長官職を拝命、そして……あの白馬山荘での不祥事まで蒸し返されるとは。やや過剰な権力志向を差し引いても後を託すべき人材と目をかけてきた井出だったが、現場から一連の報告を受けては公僕・佐々木に選択肢はなかった。舞鶴港からはイージス護衛艦隊も急遽出港したとのニュース。防衛庁の公式発表は臨時訓練とのことだったが、防衛施設庁出向の経験からその意味するところも直ちに理解、支度は今のうちにと、隣室の秘書官に筆の用意を指示した。

 さらに間もなく、港北署女子洗面所。
――はい、伊東です。
「……」
――もしもし?……美奈子?美奈子だな?
「……秀晃……あたし、怖い」
――どうした?……何があった?
「……」
 それきり携帯電話を切った斉木は、しばらくして気を取り直すと鏡の前にブリーチセットを並べ、着衣が汚れないよう肩にバスタオルを巻くと、濡らした髪を真直ぐ垂らして鏡をのぞきこみ……
「何やってんだ、あたし?」
 ため息混じりに言うと、薬液のチューブに手を伸ばした。

 ほぼ同時刻。
 警視庁から連絡。町田市内のカプセルホテルに、鄭らしい男性が滞在していたと言う。チェックインは十五日深夜、チェックアウトは十七日早朝。このホテルでは都内ながら「テレビ神奈川」の電波も引いており、昨夜のニュースを見た従業員が通報したのだった。チェックアウト後の足取りは不明。

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