Time Up:十二.キックオフ(上)
斉木がハンドルを握る覆面パトカーの助手席に加藤。中川は柳沢とCRAWの男に挟まれ後部座席中央。まるで容疑者の連行だ。途中二つの検問所は加藤が警察手帳を示して通過。二つ目の検問所にいた交通課の警官が、姿を消したと思ったら思わぬ姿で現れた斉木に絶句した。
競技場では場長と警備主任の出迎えを受け、手分けして一般入場者ゲートへ。各ゲート前には開門を待つ入場者が、チケットを手に長蛇の列をなしていた。
十二時丁度、開場。各ゲート前では入場者の手荷物・身体を検査、缶・ペットボトル飲料は用意したコップに移し替える。ゴミ減量化とフーリガン対策と称していたが、実はこれも爆発物チェック。七年前のコンフェデレーションズカップでは混乱もあったが、米国同時多発テロ、そしてワールドカップを経た今は来場者も協力的で、作業は滞りなく進んでいく。早期告知の他、日本紅衛兵の爆破予告の影響もあろう。
十二時半、各ゲート前に開門前に行列を作っていた、入場者はすべて入場。どのゲートにも、二人の姿は一向に現れなかった。
一時六分、小宮山首相がプライムホテル到着、黄副主席の客室に入ったとの連絡。ホテルでは、小田ら警備陣が慌ただしく動いている筈だ。裵中佐もこれ以降は、表向き警護される側として両首脳に随行することになる。
一時十五分、西ゲートを一時閉鎖。事情を知らない一般来場者が現れると、他のゲートに誘導した。
一時二十分、両首脳が客室を出たとの連絡。ホテル正面に始まる沿道では警察車両が路肩を固め、環状二号線も十分前から進入禁止となっている。当初の予定にはなかったが徳田信枝のネット暴露を小田が逆手に取り急遽計画を変更、一時封鎖を決断したのだった。
一時二十四分、両首脳の車がホテルを出たとの連絡。小田も警護指揮車で随行している筈だ。競技場で待つ捜査員にも緊張が走った。
一時半、パトカーと白バイに先導された黒塗りの車列が競技場北側に現れた。車列中央には最前部に日朝の国旗を立てた、一般車より窓一枚分長いリムジンカー。
本国から航送してきた防弾仕様の総書記専用車だ。外務省が発給した青い外交官専用ナンバープレートを着けているが、航送時に着いていたナンバーは「2・160000」。金正一の誕生日を冠したこのナンバーは、北朝鮮では党幹部だけが使用を許されるという。加えてあまり目立たないが前部ボンネットのグリル上端中央には、やはり最高幹部専用車のしるしである小さなランプ。それらからこの警備任務の重大性を、警備本部のごく一部の捜査員だけがあらためて読み取った。
正面玄関に進入した車列は専用車を中央に横付けして停止。西ゲート広場への大階段脇には、報道で黄副主席観戦を知った来場者が、専用車から降り立った両首脳を黄色い声で歓迎。人垣から大きなどよめきが起こったのは、小宮山首相観戦の情報が事前になかったせいだろう。
一時三十五分、西ゲートの入場を再開。両首脳が入った貴賓控室の周囲には両国のSPを中心に制服私服の警官を配置し、万全の警備態勢。これで、第一関門は突破したことになる。
二人の姿は、まだ現れなかった。
一時三十八分。
新横浜駅新幹線口ロータリーに架かる陸橋上で、朝鮮人らしい男が西側一階席のチケット(額面七千円)を買ったとの連絡。成立しかけていた商談に割り込んできたその男は終値の倍額を提示、買い取ろうとしていたダフ屋と口論となり、警官が駆けつけた時には売り主も男も姿を消していた。
「いくらで買おうとしていたんだ?」
「言えませんねえ。こっちも信用が大事なんで」
生活安全課捜査員と顔見知りの、アロハシャツに茶髪のダフ屋が横柄な口を利いているところへ、競技場から飛んできた加藤が割り込んできた。
「買い取ろうとしたチケットの席の番号は?」
「W一五入口の付近だったのは覚えてますけど……」
「西スタンド一階……危ないな。二階ならVIP席から死角だから別だが」
「しかし、鄭が手に入れようとした席は二階ですよね?身を隠すのが目的なら、位置はあまり関係ないのでは?」
「うむ……その男はどこへ消えたんだ?特徴は?」
「背が高くて、金髪で、赤いジャージを着ていましたよ。確かあれは北朝鮮代表のユニホームじゃないかな」
「だから朝鮮人、だと?金髪と言わなかったか?」
「染めたか、脱色したんでしょう。顔はどう見ても東洋人でしたよ。中国か台湾、せいぜいシンガポールまでかな」
「この男か?」
加藤が鄭の写真を取り出して見せたが、案に相違してダフ屋は首を横に振った。
「もっと細長い顔でしたね。頬に北朝鮮国旗のフェイスペインティングもしていましたよ」
「で、金額で揉めたそうだが、お前が売り主に提示した価格は?」
「……三万」
「額面七千円のチケットをか?いくらで売るつもりだったんだ?」
「いくらでもいいじゃないですか」
加藤は捜査員の制止を無視してダフ屋の胸倉をつかんだ。
「いいか、その男は北朝鮮工作員で、副主席暗殺を企んでいる可能性がある。協力を拒むならスパイ容疑で逮捕するぞ。下手すれば内乱罪で死刑だな。さあ、それでも信用とやらを大事にするか?」
ダフ屋は蒼白になって震えだした。
「わ、わかりましたよ。相場は五万です」
「それをその男は、いきなりお前の倍額と言ったんだな?」
「ええ」
ダフ屋は答えた。もし供述が事実ならその男は、成り行き次第では十万円出してでもチケットを買い取るつもりだったことになる。
「売り主のほうの特徴は?」
「グレーのスーツに水色のネクタイ……急な仕事で観戦できなくなったという感じでしたね」
「二人はどっちに行った?」
「駅のほうじゃないですか?あんた達が来て、俺が慌てて振り返った隙に……」
「我々は駅から来たが、そんな二人連れは見なかったぞ?」
別の捜査員が言うと、ダフ屋は隅にある身障者用エレベーターを指し
「あれじゃないですかね?我々も時々、移動や取引場所に使いますが」
「二手に分かれよう。もう取引が成立して別れたかもしれない」
加藤は駅前の通りへ急行、、北朝鮮代表ジャージ姿の男性を片端から職務質問したが、該当する人相の男は見つからない。人種差別と反発する相手もいて、作業は難航した。
「まずいな……韓国か北朝鮮の捜査員がいればいいんだが、駅周辺にはいなかった筈だな?」
「ええ。一部が警備本部に連絡係で残っているだけで、他は全員競技場に向かっています」
そこに、駅構内へ向かった捜査員から連絡。横浜線新幹線口手前で売り主の男性を発見。ダフ屋の推測通りエレベーター内で取引、六万円で売り渡したと言う。チケットの席番号は未確認。買い主はその後競技場に直行した模様。
――駅周辺の職質は中止。競技場に先廻りして下さい。
「了解」
無線を切った加藤はその足で競技場へ引き返した。売り主の男は任意同行、ダフ屋も連行される筈だ。
それにしても、額面七千円のチケットが六万円とは。差額の行き先は、一体……
一時四十三分。
環状二号線から右折した白い乗用車が、JR小机駅手前の新羽踏切前に現れた。競技場方向へ右折しようとしたがこの日は関係車両以外進入禁止で、仕方なく小机駅前のロータリーに乗り付ける。助手席から長身の若い男が一人降り立った。上半身には日本代表の青いジャージ。顔中に紅白で日章旗をペインティングしているが、頬が塗り重ねたように黒ずんでいた。後部座席には、金髪の鬘が置き去りだった。
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