Time Up:十三.銃声(下)
正面玄関の真下に一般用の駐車場がある。マイカー来場が全面禁止の今日は関係車両がまばらに駐車しているだけで、神殿のように支柱が並ぶフロアーは上階の異変も知らぬげに、がらんと静まり返っていた。
長島と、女性捜査員に伴なわれた許がエレベーターで現れ、隅に停車していた覆面パトカーに滑り込むと、静かに駐車場を後にした。上空には非常時に備え、狙撃銃を構えるSATが乗り込んだ警察のヘリコプター。
「北京経由だったな?」
「十八時二〇分成田発の、ノースウェスト一一便です」
長島がバックミラー越しに運転手へ目配せ、サイレンを起動したパトカーは第三京浜を南へ加速し始めた。
「鄭少佐の罪は消えないが、最後の選択を私は理解する……もし君が相手だったら、我々は阻止できたかな?」
車内を支配する沈黙に、運転手がバックミラーから二人を覗き込んだ。
「……ご想像にお任せするとしか答えられません」
「まあいい……とにかく君の働きで最悪の事態は防がれた。上からも別途、平壌に謝意が伝えられる筈だ」
「ありがとうございます」
虚ろに笑い返した許は、泣き腫らした視線を再び車窓に向けた。いつしか首都高速に入っていたパトカーは一旦減速して横浜駅真上の急カーブを通過すると、一路成田へ再び加速していった。
鄭の死体を担架に乗せた救急隊員が、六階からエレベーターで戻ってきた。確認した崔はしばし瞑目、李が痛ましげに見遣る。斉木も井口に支えられ近づいてきた。かなり派手に出血したが、銃弾はこめかみをかすっただけだったのだった。他には転倒時にかすった手の甲の擦り傷。
駆けつけた救急車の一台が、腹部を撃たれたSPを搬送。応急処置を受けた工藤が同乗。もう一台には密封された鄭、早紀と凱の死体を乗せて。
救急車と入れ替わるようにに次々と駆けつけてくるパトカーの赤色灯が、正面玄関周辺をネオンのように照らし出す。その一台から降り立った田村を、中川は虚ろな目で見上げた。
「副主席一行は?」
「新横浜駅特別室に入った。予定通り、間もなく新幹線でここを離れる。車中で京都府警に引き継いだら、これからは後始末だな」
「……」
田村の後ろからは、斉木と井口も近づいてきた。包帯で頭の傷を縛った斉木の美貌の上半分には、茶色に乾いた血が放射状に広がっていた。
「中川さん、大丈夫ですか?」
「ああ」
そう答えた中川だが頭の中は真っ白で、自分の声も隣室の話し声のようだった。
震えの止まらない手で拳銃をホルダーに収め、柳沢が腕を取って立たせる、その時耳元で
「貸しは、確かに返してもらった」
という声に中川が振り向くと、加藤が横顔を向けたまま
「部屋代は心配するな」
と言ったきり、照れくさそうにすぐ体を離した。中川の頬を熱い物が濡らし、柳沢がまた口をすぼめてその肩を叩いた。三台目の救急車が到着、斉木が井口と山崎に伴なわれ彼女が乗り込もうとした時
「斉木巡査、小田さんから伝言だ」
呼び止められ振り返った斉木に、直立不動の田村が与えたのは、言葉でなく敬礼だった。原が、磯貝が、柳沢が、裵が、崔が、李が、朴課長が、加藤が、中川が、周囲の捜査員・警官が次々と倣い、斉木も答礼。しばしの後、自らも敬礼していた救急隊員に促された斉木達が乗り込乗り込んだ救急車は、敬礼の列の中をゆっくりと滑り出した。
――こちら警備本部。各員、状況を報告。
「港北署交通課、斉木巡査。現在……競技場東側を通過。間もなく労災病院」
――美奈子、大丈夫か?
無線に割り込んできたのは、警護で白バイのハンドルを握っている筈の伊東だった。
「……秀晃?今、どこなの?」
――新横浜駅に着いた。黄副主席一行は、ホームに移動中だ。
「そう……あたしは大丈夫。額をかすっただけ」
――よかった……結婚しよう。
井口と山崎は救急隊員と失笑を交わし、斉木は赤面。無線機からは誰かの咳払いが聞こえてきた。
「ちょっと……これ、皆に聞こえてるわよ」
――俺じゃだめか?
「そうじゃなくて……だって手に怪我したし、銃は握れるかもしれないけど、もう前みたいには……」
――何言ってるんだ。俺が守ってやる……だめか?
「……ありがとう」
――それ、OKの返事と思っていいのか?
「……バカ」
斉木は目尻を湿らせた。減速した救急車は左折すると東ゲートへのスロープ下をくぐって労災病院の敷地に入り、救急入口へ近づいていった。
各メディアは夕方を待たず一斉にこの事件を、外交的影響への憶測も交えながら報じた。殺されたビール販売員、被弾したSPと斉木の他はパニック時に二十余名が負傷。北側一階では、頭部が粉々になった男の死体を発見。所持品中にはリモコン起爆装置。斉木が仕留めた販売員が持っていた箱は二重底だった。過激派の手配リストと照合した結果、どちらも日本紅衛兵メンバーと判明。ダイナマイトを隠し持ち、屋根に仕掛けて廻っていたと思われた。なお、狙撃犯の身許については、警察は確認中と発表。
午後五時半過ぎ、平壌近郊・十五号官邸大広間。
金正一は正面のソファーに体を沈めていた。向かいには家庭電器卸売業の在日が献上した大型液晶テレビ。換金すれば数家族を餓死から救える代物だ。
先刻から流れているのは親善試合終了を待たず相次いだ、突発事態とその後の動きを断続的に伝える臨時ニュース。体調不良を口実にここ数日、敷地面積は公邸である三七号官邸(市内)の十倍以上、湖のような池やゴルフコースまであるこの別邸で、これ幸いと好みの女性を集めての連日の淫行でゆるんだ、金の顔の下半分が怒りで痙攣していた。
「なぜだ?計画は完璧だった筈だぞ?何で、こうあっさり失敗した?誰の仕業にするんだ?国外マスコミに、どう説明する?黄の自作自演にするか?」
全て金の自作自演と知っている側近には笑止だが、放っておけは金は糸の切れた凧のように迷走、弾道ミサイル再発射も言い出しかねない。
「日本側が調査要員でも送り込んでこない限りごまかせます。第一、黄副主席には各国マスコミも張り付いており、今自作自演説を持ち出しては逆効果――」
側近の言葉は鋭い破壊音で中断、金が投げつけたリモコンを画面に飲みこんだ液晶テレビは一瞬で粗大ゴミと化した。彼の癇癪の犠牲となって、常時携えた護身用旧ソ連製自動拳銃で射殺された者は数知れず、一度ならずそれを目撃している側近は、破滅の予感に蒼白となった。
「ならどうする?中国に逃げるか?尤も先方の立場上北京もまずいだろうし、そう、魚が逃げ込んだ香港……」
「そう、魚人民武力部長です!」
側近は半ば無意識に叫び、一人喋り続けていた金は面食らって、怪訝な顔で見返してきた。
「お前、何が言いたい?魚にとりなしてもらおうと?いや、それはだめだぞ。魚はガチガチの強硬派で、国外での受けは悪いから逆効果……」
「いえ、魚前部長が全ての黒幕だったことにするのです」
「そう、思い出したぞ、しくじったらそういう筋書だったな……しかしそれで収拾できるのか?」
「脈はあります。情報源の日本警察高官が」
「何だ?」
「急死したそうです」
「急死?……なるほど」
金はにやりと笑った。
「日本も表沙汰にしたくないということだな?だったら問題ないじゃないか。中国に連絡してとっとと手配しろ」
害虫を駆除するように命じた金の表情に浮かんでいたのは、重臣への敬意など薬にもしたくない悪意だった。
「これでやっと、邪魔な奴を始末できる……」
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