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2008年5月26日 (月)

Time Up:十三.銃声(中)

 紅白に塗り分けた全長百三メートルのレールは黒煙であっという間に包まれ、煙間からちらつく炎に観客がパニック、出口へ殺到し始めた。階段を踏み外し転倒、下敷きになるまいと逃げ惑う者。同伴者を見失ったカップルの悲鳴。親とはぐれた子供の泣き声。スタンドに突入した工藤らは、身動きが取れなくなった。
 爆発音に紛れた銃声を聴き取った長島と許は、コンコースの階段を駆け上がった。六階エレベーター脇には、写真を確認するまでもなく警備陣の頭脳にはっきり入力された顔の男が、うずくまっていた。
「鄭少佐!」
 真っ先に駆け寄った許に昔の階級で呼びかけられた鄭は、ゆっくり顔を上げ微笑した。
「……仏心が命取りになったな。この手で訓練したのを忘れていた、私のミスだ」
 捜査員達は言葉を失った。彼に重傷を負わせられる、そしてほぼ確実に場内にいる人物と言えば……
「彼女も場内だな?」
 鄭は無言で頷いた。スタンド突入を諦めた工藤や朴課長が周りをばらばらと囲む。
「訓練していた頃、何度か脱走を図った。私が一人で連れ戻し、また逃げる、の繰り返しだった」
 遠くを見る目つきになり語り続ける鄭を、捜査員達は無言で見守った。
「今回の任務を前に両親に会わせると私は約束した。帰国すれば何とかなると思ったが……」
「もういい……ご両親には我々が会わせる」
 長島はそう言って、鄭の真直ぐな視線を受け止めた。
「……」
「以前、少佐は私を死なせたくないと仰いました。私も少佐に、ここで死んで欲しくはありません」
 やっと口にできた。平穏な任務に就いていた頃からの想いを。あの事件を境に特殊任務志願、過酷な訓練に耐え、そして何度も夢にまで見た再会。だが、彼女が人知れず慕っていた男の腹部に出来た染みは広がりを止めないばかりか、路面にもゆっくりと溜まりを作りつつあった。
 沈黙を破るチャイムと共に開いたエレベーターから救急隊の担架が現れたが、思わず生気を取り戻した警備陣を最後まで裏切る銃声、そして皆が気づいた時鄭は、重傷と思えぬ素早さでエレベーターに乗り込んでいた。再び銃を構え殺到した警備陣は鄭の
「寄るなあッ!」
 という一喝、否、その左手にある手榴弾に立ち竦んだ。
「死ぬだけが責任の取り方ではあるまい。協力してくれれば相応の処遇……」
「全て調べたのだろう?付け足すことはないし、こうなった以上平壌も絶対に生かしておくまい」
「少佐……」
 もう半分泣き顔の許に微笑した後、鄭は警官達を見まわし
「彼女を止めてくれ。私がそう言ったと言えば充分だ。ご主人によろしくな」
 と言い、扉に引っかかっていた担架を蹴り飛ばした。逃がすまいと跳びかかった工藤の腿に鄭の投げたナイフが突き立ち、工藤は足を抱えて転倒。扉を閉ざしたエレベーターはゆっくり下降を始めた。
「少佐!」
「下の階だ!手榴弾を持っているぞ!退避!」
 許と長島の絶叫を砲撃のような衝撃か吹き飛ばし、床に叩きつけられた警官達が起き上がると、エレベーターの扉から漏れる薄い煙、そして階下からもう一度伝わってきた衝撃を最後にコンコースから緊張が去った。
 泣き崩れる許、歯を食いしばり足を抱える工藤を見ながら、長島は一つの怨念が終息したのを感じ、暫時立ち尽くしていたが、その最期の言葉を思い出し、無線に手を伸ばした。

 中川がたどり着いた貴賓室に人影はなく、いち早く退席した両首脳を追い正面玄関に向かう。グラウンド方向からも銃声。後で聞いた話では西二階スタンド席に不審者を発見、しかし間を措かず見失ったという。
 長い階段を駆け下りる両首脳にSPが張り付き、他の警官が周囲を固める。頭上からは、逃げ惑う観客の悲鳴や足音。西ゲートは急遽締め切った筈だが、鄭達にしてみると無理にVIP席近くの席を確保する必要はなかった。スタンドにうまくパニックを誘発すれば、警備突破は簡単ではないか。
 階段の下にやっと見えた正面玄関の向こうで、エンジンをかけた車列がドアを開け放ち待機。両首脳が専用車にあと数歩と近づいた時、銃声と同時にSPが一人崩れ落ち、中川達が一斉に銃口を向けたその先に
 西ゲート広場へ上がる階段の下で、早紀が拳銃を構えていた。中川と視線が絡み合い、怯んだようだったがそれも一瞬で、車内に身を沈めようとしていた首脳に銃口を向けた。
「やめろ!」
 柳沢が叫びながら発砲、裵が両首脳を突き飛ばすように後部座席に押し込み、車列はサイレンもけたたましく赤色灯の光を撒き散らしながら、駐車場へ向け猛発進した。
 それを見た早紀は踵を返し、階段へ物凄い勢いで走り出した。リンク上から車列を狙うつもりだったようだが、斉木と井口が階段の上から銃を構えていた。背後から肉薄する加藤を制し柳沢が
「そこまでだ、早紀さん」
 と、彼女の仮の名を呼びかけた。
「……」
「鄭栄秀は死んだ……『止めてくれ』。これが遺言だ。意味がわかるか?」
「!……」
 早紀の顔が歪み、しかしなおも動かない銃口を見かねたように崔が語りかけた。
「片桐、幸子さんですね?」
「!」
 銃口の後ろで彼女が動揺している。彼のことを知っていても、この場に現れるとは予想していなかった筈だ。
「崔泰映と言います。鄭栄秀の弟です。韓国から、兄を追って来ました」
「――」
「さっきの電話を、あなたもお聞きになったと思います。
 ご主人とやり直せませんか?ご両親ともお会いになればいい。今ならそれができると思います。
 歴史問題では私も思うことがあります。しかしそれを理由にこういうことを続けるのが正しいとも思わない。もう終わらせるべきです」
 下がりはじめた銃口に合わせて捜査員達が包囲環をせばめる中、柳沢が再び声をかける。
「新潟のご実家にも警備をつけた。銃をおろして全て話して欲しい。それかあなたにできる償……」
 突然炸裂した二発の銃声に続いて早紀の銃口が火を噴き、血飛沫と共に斉木が倒れた瞬間には、再度反転した早紀の銃口は加藤の眉間をぴたりと向いていて、加藤が二階級特進を覚悟した時
「クマンドゥダラ(やめなさい)!」
 裵の叫びと共に、彼の体は誰かの体当たりで横に吹き飛び、早紀の銃弾はそこにできた空間に飛び込んだ中川の眼前の路面に火花を散らした。一瞬後(おく)れ時ならぬ白煙。中川の応射が、柱に設置された泡消火装置に命中したのだ。雷鳴のようなSATの斉射をかわすべく早紀は後方に跳躍、柱の一つに背を寄せ動きを止めた。殺到した銃口が二重三重に囲む脇を、駐車場から再び現れた車列が猛スピードで通過。専用車の側面に赤い液体が飛散する。警護の白バイの一人が通過しざま、路肩の光景に一瞬視線を向けたようだった。
 車列が白煙を吹き飛ばした後も、目を見開き微動だにしない早紀に近づきかけ、中川は凍りついた。紅白に染まった泡消火装置のパイプが、彼女の左胸から突き出ていた。中川の銃撃で出来た破断面に、背中からぶつかったのだ。銃口をかきわけ進み出た山崎が脈拍と瞳孔を確かめると振り返って首を横に振り、瞼を閉じさせた。
 裵の横では凱通訳が倒れていた。手にした拳銃の銃弾は加藤の拳銃を吹き飛ばし、そしてその頭蓋は裵の銃弾で吹き飛んでいた。これが彼の、本当の任務だったと誰もが直感的に悟った。
「ウェ(なぜ)?」
 静まり返った空間に響いた、裵の問いに答えられる者もなく
「ウェ!」
 二回目の絶叫を聞きながら、中川はその場に座り込んだ。両手の指は銃身に食い込んで離れなかった。

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