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2008年5月20日 (火)

Time Up:十二.キックオフ(下)

 同じ頃、横浜市鶴見区。
 徳田信枝は、京浜運河に面した埠頭に立っていた。アナーキズムの女神と称され、学生運動家のカリスマだった頃の丈なす黒髪は半ば白くなった上、長い逃亡生活の間に切り落とされパーマで縮れている。鋭角的な風貌にも心労で皺が一面に刻まれ、若い頃の輝きを失っていた。
 埠頭には彼女の他に数人の同志だけ。彼らの手で脱走、北朝鮮に再び渡る手筈も整っている。腕に嵌めた旧東ドイツ製の時計は午後二時半直前。間もなく港湾職員を装った協力者の手引きでミャンマー行きの貨物船に便乗、東シナ海上で密かに乗り換え半島西岸に上陸の予定だ。
 ハイジャック機で最初に北朝鮮に渡った時が彼女の闘争人生の絶頂だったようだ。東欧各国で相次いだ社会主義政権崩壊と金一成の後継者争いで間もなく平壌も不穏となり、反米政権がまだ健在だった中東に渡ったが、米国同時多発テロ以降はそこも安住の地ではなくなった。
 身を寄せていたヨルダンばかりかリビアまで変節、アフガニスタン・イラクは政権崩壊。もはや祖国ではない日本で一時拘束、少し廻り道だったがそれも今日まで……激変する世界情勢に心身共憔悴しながらも、彼女の双眸にはようやく往年の光が戻りつつあった。
 ビルの陰から、職員の服装をした男が二人近づいてきた。
「徳田信枝、か?」
「ええ」
「話は聞いている。こっちへ」
 二人に続いて彼女達が埠頭の端まで来ると、黒い船体の貨物船が出航の準備をしていた。
「これに乗ってもらう。船室はブリッジ真下だ。船長には荷主の親族だと言ってある」
 男はそう言って脇に抱えた紙包みに手を突っ込み、しかし取り出したのは密航用偽造パスポートではなく、黒く光る拳銃だった。
 不意を突かれた同志達の中でいち早く徳田信枝は男に体当たり、腿に被弾しながら拳銃を奪い取ったが、同時に物陰に隠れていた警官がばらばらと現れ、タラップへ向きなおった彼女の行く手を阻んだ。中央には拳銃を構えた永井ら警視庁公安三課員。待ち伏せされていたのだ。
 一発発砲すると海岸線沿いに逃走。曲線的な外観が埠頭と不釣合いな覆面パトカーが停車していた。運転手の頭を銃弾で吹き飛ばしハンドルを奪う。乗り込もうと助手席のドアに取り付いた藤堂顕治が背中を撃たれて倒れ、急発進した覆面パトカーに頭部を轢き潰され即死した。
 彼女はローリングしながら埠頭を逃げ惑ったが、陸上の出入口はいち早くバリケード封鎖、車の行く手も次々とパトカーが塞いでいくその時
 眼前を斜めに横切る引込み線に、機関車に牽引された何十両ものタンク列車が進入してきた。貨車の側面には大手石油会社のマーク。ブレーキを諦め回避しようと急ハンドルを切ったのが裏目に出てコントロールを失った覆面パトカーはスピン、タンク車の一両に突っ込んでいった。
 大爆発に続いて発生した火災が完全に鎮火するまで三十分、消火剤で真っ白の覆面パトカー運転席から女性が引きずり出され、直ちに救急車で搬送。着衣や頭髪は根こそぎ焼け落ち、全身真っ赤に焼け爛れた顔は両目と口を可能な限り開き、苦痛と絶望に歪んでいた。

 その男は頭部を便器に突っ込んだ格好で絶命していた。後頭部が吹き飛び、脳漿が流れ出している。第一発見者の警備員は蒼くなり震えていた。白いユニフォームの競技場スタッフも次々集まってきた。
「ビールの販売員というのは確かですか?」
「間違いありません……殺されたんですか?」
「背後から撃たれています。銃声は聞こえませんでしたか?」
「いえ。コンクリートの打ちっ放しですから、そういう音がすれば反響した筈ですが……」
「販売員というと、売店の店員ですか?」
「ビール会社の委託職員です。サーバーを担いでスタンドを売り歩くんです」
「しかし、身許を示す物は身に着けていませんが?」
「競技場出入りを示すビブス、ビールサーバー……そういう類がなくなってますね」
「まさか……」
 顔色を変えた柳沢は無線を手にした。
「殺人です。後頭部損傷。撃たれたと思われますが、銃声はなかった模様。サイレンサーでしょう」
――ビール販売員というのは確かか?
「発見した警備員が顔を見て、間違いないと言っています。それと、身に着けていた筈の制服やビールサーバーが見当たりません」
――奪われた?では……
 その時、捜査員の誰かが怒鳴った。
「止まれ!」
 捜査員達は一斉に階段の方を見た。七階から現れたビール販売員が一人、逃げ出すところだった。そして鈍い銃声と同時に、トイレ脇の壁面から飛び散る火花とコンクリート片。販売員が牽制で撃ってきたのだ。斉木が咄嗟に応射し、頸部に被弾した販売員は駆け下りようとしていた階段の外へ悲鳴と共に転落、数階下の路面に背中から激突。ビールサーバーが破裂し、褐色と赤色、二種類の液体が路面に泡まみれの汚らしい池を作っていった。
――どうした?
 無線の向こうで小田が怒鳴った。斉木は自分の銃声に腰を抜かしている。
「ビール販売員姿の不審者が発砲、応戦の結果制圧。身許、生死、トイレの死体との関連は未確認」
――わかった。井口巡査部長と斉木巡査は本来任務に復帰。他の者はスタンド入口に待機。爆発物処理班は作業再開、中川巡査部長はその支援。
 小田の声で捜査員達は再び慌ただしく動きはじめた。無線には、七階エレベーター前で警備員が倒れているとの報告。脇には、乗り捨てられた車椅子。彼女が今、場内にいるとすれば、ずばり狙撃実行の意思に他ならない。遭遇した時、それを止めることはできるのだろうか?

――はい、井出です。
「工藤です」
――……
「もしもし?」
――君も暇だねえ?
「は?……あの……」
――試合はもう始まったんだろう?
「ご存じだったんですか?」
――テレビが生中継しているんだ。ご存じも何もないよ。
「は……」
 井出の口調にある焦燥と険を敏感に察知した工藤は、嫌な予感がした。
――それで?
「通報のあった京浜運河で、徳田信枝と思われる不審者を確保。逃走を図って事故を起こし、意識不明の重体で病院に搬送中です。身許は現在確認中ですが」
――公安の網にかかったか。本人に相違なければ、その件は一段落だが……
「あと、李芳姫は別途、競技場に入りました。事前に解決できればよかったのですが……」
――君らしくない判断ミスだが、まあ、サロメの線がなくなった以上致し方ない。それより昨夜、君は不用意に警備の配置を動かしたそうだな?
「――」
――私が知っていたのは意外かね?
「――は……い、いえ」
――君には小田君の監視を命じていたが、君自身のことは想定外だったようだな?
「――だ、誰が?」
――そんなことはどうでもいい。問題はその混乱に乗じ、狙撃犯が場内に潜入したらしいことだ。小田君も気づいたようだし、もし最悪の結果になれば君の責任は免れないぞ。
「それは……」
――私なりに手は尽くしたが、本事案も最終段階だ。当分連絡も入れなくていい。
「――」
――今回の総書記観戦は急遽決まったが、その時の長官に私は大丈夫ですと答えた。その後長官も替わられたばかりだし、狙撃を阻止できなければ、私が詰腹を切ることになるだろう。
「――」
――盧氏からの情報リークまで明るみになれば判断ミスでは済まなくなる。君も最悪のタイミングでとんだ失態をしてくれたな。失望したよ。
「局長?もしもし、も――」
 いつの間に切れていた電話を握ったまま、工藤は血の気を失ってその場に立ち尽くした。

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