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2008年4月22日 (火)

Time Up:八.真実(下)

 五月十六日、午前。
 魚は香港のホテル「和平飯店」にいた。昨年オープンした、上海の老舗ホテルチェーン第一号店だ。
 数年前五人の日本人一時帰国に猛反対した魚の危惧が的中、彼らのの証言から内情を暴露された偵察局の恐慌を嘲うように、外交条件は厳しくなる一方。年明けの決定もまたもやの瀬戸際外交で偽遺骨の二の舞になりそうな気もする。
 客室のテレビに頼らず毎日内外の新聞を取り寄せ、インターネットもチェック。平壌・東京の主要ニュースは常時確認しているが、同時に首都圏で相次ぐ事件にまでは注意が及ばなかった。平壌にも自分の動きは筒抜けらしいが、それが公表された時点で、彼は容易に手を触れられぬ存在になっていた。これもあくまで北京と平壌が状況を静観しているにすぎないという状況認識も、いつしか魚の脳裏からは薄れつつあった。

 同じ頃。
 徳田信枝を乗せ、前後に警護車を随えた護送車は第三京浜北見方料金所を通過、新多摩川橋を渡り都内に入った。新幹線ジャックの送検手続後神奈川県内から今日移送、この後は警視庁で、十年前の菱和ビル爆破事件の取調べだ。終点の多摩川インターチェンジからは、環状八号線を首都高速渋谷線用賀インターチェンジへ。極秘の移送経路をどこで嗅ぎつけたか、並走するマスコミの車両がカメラを構え、警察は彼らの無遠慮な取材にも警戒しなければならなかった。瀬田交差点で国道二四六号線を横切ると用賀インターチェンジの標識が現れ、この後首都高速に上がれば桜田門へは直行だ。警備陣に一瞬の隙が生じた。
 突然路地からトラックが飛び出し、車列は進路を遮られ急停止。その路地は一方通行で元々進入禁止、しかも今日は工事を口実に封鎖していたと警備陣が思い出した時は既に遅く、後ろの警護車側面に手前の路地から乗用車が突っ込み、助手席の警官が圧死した。
 トラックの荷台とマスコミの車両から次々と飛び降りた黒ずくめの集団が、ライフルを手に護送車を包囲。運転手は発進・突破を試みたが、タイヤを打ち抜かれた護送車は脚を挫いた獣のように停止。一人が運転手の頭部を撃ち抜くと同時に、爆薬がロックを吹き飛ばし、数人が車内に突入していった。
 再び車外に現れた襲撃者達の中央には徳田がいた。応援に駆けつけた警官達との間で激しい銃撃戦が始まる。それでも人数でははるかに警察側が有利で、制圧は時間の問題と思われたその時
 対向車線からダンプカーが突っ込んできて警官と通行人を撥ね飛ばし、後方の乗用車に衝突して停止。警官達がそれに気を取られた隙に徳田と襲撃者達はトラックの荷台に飛び乗り、走り去った。異変発生から全てが終わるまで、五分と経っていなかった。

 同日、鎌倉市扇ヶ谷。
 北鎌倉から真南へ坂を登りきったこの高台は、源氏山公園を中心に市街を北西から見下ろす、奥座敷のような位置にある。東麓には寿福寺などの参拝・観光客の姿もあるが、観光スポットもない南麓は茂みの間に人家が点在する閑静な住宅街だ。
 飯田家の正門からは緞幕を張った玄関まで花環が並び、祭壇中央、遺影の前には警部昇進(二階級特進)の真新しい辞令。酒井以下港北署員の他、韓国警察の姜警部補らも参列。加藤は無造作に伸ばしていた髪を整え、斉木は受付に立っていた。自身警察官である尚子の父親は悲しみをこらえ弔問客に応対。母親は落胆で寝室を出られない状態とのことだった。
 出棺の時刻になると霊柩車がバックして玄関に停止、白木の棺を加藤らが担いで納める。行く手の人垣を警官が整理すると霊柩車の長いクラクションが葬列の出発を告げ、脇に下がった加藤が叫んだ。
「飯田警部に、敬礼!」
 全警察官が一斉に敬礼。斉木は我慢できず敬礼したまま泣き出し、他の弔問客からも泣き声が沸き起こる。
「飯田さん、見ててください。中川さんを騙して飯田さんを殺した犯人を絶対許さない。敵はきっと討ちますからね」
 斉木の隣で敬礼する山崎がそう呟いていた。霊柩車を中心に人ごみを掻き分けながら門を出た車列は、斎場への坂道をゆっくり滑り出した。
 精進落としまで手伝う予定だった斉木に、至急戻るよう連絡。理由の説明はなかった。港北署に戻った彼女を工藤が導いたのは、しかし交通課とは別の薄暗い一室。机の隅に一人の男が座っていた。撫で付けた長髪に、面長の顔の下半分を覆った無精ひげ。それが誰か思い出した彼女は、自分に用意された任務が何かを悟った。

 人民共和国旗を尾翼中央に染め抜き、黄沢究副主席ら訪日団一行を乗せた北朝鮮政府専用機は、日本海を一路東へ滑空していた。韓国領空通過中は同空軍のF15戦闘機が前後左右をぴたりと護衛、日本領空からは航空自衛隊と交替の予定だ。
 金一成が死後を託した三人の副主席で最もその信任が高かったのは、政治学者だった外交顧問の王長耀。他の側近が金父子への幇間に堕していく中、彼は自分の担当にとどまらず正常な国政運営に尽くしてきた。
 だが、父親の死だけを待っていた金正一は、早速王を最高人民会議議長に指名し形式上のナンバー二に棚上げ、独断で政治を動かし始めた。学者として純粋に理想の社会主義を目指していた王は祖国の現実と将来に絶望、一九九九年、外遊先の北京から澳門を経て韓国へ亡命する。
 西側でも「北朝鮮最後の良識的政治家」と評価されていた彼の亡命に、体制早期崩壊の推測が内外を飛び交い、一族や友人、側近は全員処刑、教え子他数千人が管理所送り。金は怒りと危機感から軍・党・行政府のリベラル派を一掃し、皮肉にもこれで彼の独裁体制が完成した。
 王長耀亡命の余波は黄の立場も微妙にした。大学の恩師でもあった王の指導で優秀に成長した黄の存在は、独裁者金正一には脅威となっていた。外交を巡る魚との対立が修復不可能になったのも裏で金が糸を引いた結果で、魚の失脚という形で今回は勝利したが今後も油断は禁物だ。
 今回の訪日も内部では成果を疑問視、ドタキャンはそれを耳にしての癇癪、との噂もある。真相がどうあれ準備した訪日団の、困難は承知で団長を引き受けたが、帰国後その不協和音をどう収拾するか。気に障れば高官だろうが射殺する金のこと、最悪血を見ずに済むまいと思うだけで黄には頭痛の種だった。

 裵明珠は、東京国際空港(羽田)国際線旅客ターミナルVIP待合室で、専用機の到着を待っていた。待遇こそ最上級だったが、金の母親は金一成の先妻、一方裵の祖母は後妻。そして金と腹違いの裵母娘への厚遇があくまで表面上のことなのは、半島情勢通の間では公然の秘密だった。
 金は後妻の親族に気を許すことはなかった。父親に偏愛された後妻への憎悪と、とって代わられるかもとの猜疑心からだ。今回の任務も敵同士を互いに噛み合わせるいつもの手だと、永年の経験から裵は勘付いていた。
 VIP待合室には彼女達北朝鮮側の他、韓国・日本関係者も待機中だが、日本側責任者の井出警備局長は副局長を名代に寄越し、庁舎内で過激派リーダー逃亡への対応中。突発事態といえば、金の飛行機嫌いは周知の事実なのに空路移動を日程に入れるとは。ドタキャンを知った当初は、単なる計画上の手落ちかと思ったが、これも実は何か意図があったのではと彼女が思い至った時、専用機が日本領空に入ったと連絡が入った。
 数十分後、北朝鮮政府公用機として建国史上初めて日本に飛来した専用機は、定刻通り羽田に着陸。警備陣が陰謀の核心に迫りつつも最後の決め手をつかめないまま、事件はいよいよ最終段階に入ろうとしていた。

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