Time Up:五.合同警備(下)
「二つ年下ですが、収監前から男の出入りが絶えなかったようで、関係を持った保衛員を彼女がトラブルから刺殺。居合わせた兄の鄭が半日本人(パンチョッパリ)と罵り、これは半分日本人という意味の悪口ですが作業用ハンマーで滅多打ち。ただ逆にこの事件で見込まれたか間もなく出所、平壌近郊の部隊に転属しています」
「……随分と生々しい話ですが、信頼できるソースからの情報なのでしょうか?」
暫時の沈黙を夏木が半信半疑の質問で破り、朴課長が割り込んで補足する。
「先年わが国に亡命してきた元兵士の証言で、軍内部にはかなり知られていたそうです。管理所送りの人間が無事出獄、しかも復帰したとなると異例中の異例だそうなので。騒ぎの発端となった看守も別の収容所送り、そして鄭は数年後……」
「死亡。違いますか?」
「記録ではそうなっていました。つまり彼は、もうこの世にいない筈の人物なんです。超エリートだった彼を、しかも生きているのを死亡扱いにするなど、北では通常あり得ません」
「国内でも公表できない任務に就いている、と?」
「恐らく。現時点の所在とその目的は大体お察しと思いますが、今日強調しておきたいのは、彼が最高の訓練を受けた、最も危険な戦闘員だという事実です」
「母親が慰安婦、妹がプレイガール、か……大阪に潜伏していた頃の鄭の身辺には女性の影がなかったらしいのですが、そういう経歴が原因でしょうか?」
「恐らく。鄭の親族はその後全員死亡。死因は不明ですが、口封じかもしれません」
「なるほど。こちらでは身辺に女がおり、工作員だというのが府警の意見でしたが、やはりそう思われますか?」
「間違いないでしょう」
朴課長がそう言い切り、通訳の女性捜査員がなぜか居心地悪そうに俯く。死んだ筈の工作員が絡む狙撃計画、そしてそれを追う南北の情報機関。この事案がどういう帰趨をたどるとしても恐らく明るみにされないであろう事実を前に、日本の捜査員達は顔を見合わせるばかりだった。
「よろしい。当警備本部も、韓国・北朝鮮側担当者を迎えた本日以降は、総員常時臨戦態勢」
小田がそう言い、最初の三国合同警備会議を終えた。
同日夜、プライムホテル五階大宴会場。
南北朝鮮警備担当者の歓迎会は、NIS責任者を総書記に見立て、夕食会の予行演習を兼ね行われた。
「お前のカミさんも呼べばよかったな」
加藤が話しかけて来た。
「馬鹿言え。任務中だぞ」
「冗談だよ。でも結構、参ってるんじゃないか?無言電話の次は殺人と、身辺でこう事件続きじゃあ」
加藤達には早紀を尚子のアパートに移したと、今朝話した。斎藤殺しとは関連ない筈だったが、一応皆の耳にも入れておいたほうがいいという、柳沢の判断だった。
「まあ、ただ今後は尚子が目を光らせてくれるから、もう大丈夫だと思う」
「そうだな……お前は飲まないのか?」
加藤はそう言い、手に持ったビールのグラスを掲げた。
「この後、鶴見署に用事があってね。警官が飲酒運転しちゃまずいだろう?」
中川が答えたところへ、尚子が韓国警察の女性捜査員を連れて現れた。朴課長の通訳をしていた捜査員だ。
「ご紹介するわ。こちら、姜成基(カンソンギ)警部補。韓国警備陣は警察とNISの合同なんだけど、警察の通訳で日本語の他に英語も少しおできになるそうよ」
「姜です。どうぞよろしく」
姜警部補は控えめな笑顔を見せた。
「警部の加藤です。ようこそ日本へ」
「中川巡査部長です」
三人はたどたどしい英語で挨拶した。
「今日は実際に会場周辺をご覧いただきましたが、全体のご感想はどうですか?」
加藤が質問、英語のできる尚子が補足する。それに答える姜警部補の日本語は、中川達が驚く程流暢だった。
「そうですね、この町は今まさに変わりつつあるという感じでしょうか。駅周辺はかなり市街化しているのに対し、競技場周辺は最近になって開けたようですね。ビル一つを見ても川の対岸に蜃気楼を見ている気がしました」
「そう、ここは新幹線が開通するまで何もない野原だったんです。正面口周辺に早くからホテルやオフィスができてきたが、当時を知っている人物からの又聞きでは、反対側の篠原口周辺はその後も長い間田畑のままで、珍しがった外国人がホームから写真を撮っていたそうです」
唾を飛ばし喋る加藤の脇腹を中川がつつくが一向に気づく気配がない。姜警部補は微笑しながら聞いている。
「しかしワールドカップ以降、この町は再び変わりつつあります。ちょっと大袈裟に言えば、歴史が作った町と言うことになるでしょうか」
「今回の試合も、その歴史の一つになるというわけですね」
「その通りです。お蔭で我々も目の回る忙しさですが」
そこに朴課長がひょっこり割り込んできた。
「わかるよ。それで何かあれば真っ先に矢面に立たされるのは我々警察なのだからね。大阪の刑事さんのように、命だって落としかねないし」
「お恥ずかしい限りです」
「お気の毒だったが、今回は相手が相手だからな……尤も、専ら相手をするのはNISや軍で、私も直接お目にかかったことはないがねえ」
弔意は弔意として日本側の不用意な対応への批判を、朴課長の口調に感じたのは中川だけだろうか?とにかく今回日本側が手にしている情報量は、韓国のそれにくらべて格段に落差があるようだ。
「あの、一つ伺ってよろしいですか?」
「何かね?」
「爆破予告の件ですが……」
「お前、急に話題を変えるなよ」
加藤が突っ込みを入れた。
「いや、私でわかることなら何でもお答えしますよ」
朴課長は微笑して言った。
「以前、お国の映画でサッカーの南北親善試合をテロリストが襲撃するというのがありましたよね?あれで見た液体爆弾でCTXでしたっけ、実在するんですか?」
「ああ……あれはあくまで映画の上のフィクションだよ。私も爆発物は専門外だが、少なくとも本当に無味無臭の液体爆弾というのは、どこの国もまだ開発していない筈だ」
「そうすると、ゲートでの検査さえ徹底すれば、現在知られている爆発物はチェック可能と思っていていいんですね?」
「液体爆弾は物理的な衝撃には敏感だからね。将来はともかく、当分はこのレベルのチェックで充分対処できる筈だよ」
そこに警察庁の捜査員が現れ、二人の韓国人が合流して宴会場を去ったのを機に、中川は府警捜査員がいる一角に移動した。斎藤に早紀の件で世話になっていた、その礼を言うつもりだった。
「そうだったの、そんなことがねえ」
「問題は、犯人がどう斎藤警部に接触できたかになると思います。相手が本当に鄭だとしたら、警部ものこのこ現場へついて行ったとは思えませんし。誰かが誘い出したか……」
「変装していたのかもな」
「変装ですか」
「奴らがよく使う手だよ。帽子とか、ひげとか……」
「付けひげですね」
「ただ奴らの場合は巧妙でね。普通黒か白一色のところを、わざと半分だけ白くして自然に見せたりするんだ。それも頭髪脱色用の薬液……」
「――」
「どうかしたの?」
「いえ……」
中川は咄嗟に言葉を濁した。
「その、鄭はどういう変装が多かったのですか?好みとか、あったんでしょう?」
「そう、多かったのはサングラスかな、あと、黒っぽい帽子だとか……」
一杯も飲んでいない中川の頭の中が二日酔いのように激しく回転を始め、中川は慌てて加藤の所へ飛んでいった。耳打ちを受けた加藤は柳沢の所へ。明日には栄署管内にも鄭の顔写真が配布される筈だ。
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