Time Up:八.真実(中)
「別命あるまで待機。退がりたまえ」
「管理官」
「何だ、柳沢君?」
「ホテル・グレコの客室です。引続き確保しておいてはどうでしょう?戻ってくる可能性もあります」
「……勝手にしたまえ」
二人は退室、刑事課へ戻りはじめた。
「斎藤警部の手帳に残っていた数字を覚えているか?」
「000で始まる……何かわかったんですか?」
「三輪(みのわ)銀行東戸塚支店から通報があった。昨日午前、女性が電話で口座情報を問い合わせてきたと」
「銀行口座ですか」
「戸塚区品濃町五四X。銀行番号、店番号、普通・定期などの口座種別、そして口座番号。相手はこの番号を言い名義を尋ねてきた。銀行側は顧客情報なので回答を拒んだそうだが。そして名義は」
柳沢は一旦言葉を切り、深呼吸した。
「本多正勝」
中川は息を呑み、思わず立ち止まった。
「では、あのビルはアジト――」
「戸塚区品濃町五三X。ベッドタウン駅前の廃ビル……条件は最高だ」
「銀行への電話も――彼女?」
「そう名乗ったそうだ。昨日はそれきりだったが、今朝のニュースに慌てて通報してきたんだ」
二つの警官殺しはいよいよ同一犯の可能性大、という言葉を柳沢は呑みこんだ。
「でもその後、どうやって口座を特定したんでしょう?」
「直後、少額の入金があった。名義と支店名はその時に確認したんだろう。あれが銀行口座とはよく気づいたが……」
「そう言えば昨日、預金を下ろすとか言っていました」
「じゃあ、その時にカードか何かを見て気づいたか」
「……」
「銀行は直ちに口座を閉鎖したが、少し後都内、港区高輪のコンビニにあるATMから引出し要求があった。これが鄭に間違いなければ足取りも追えるだろう」
中川は言葉がなかった。一昨日の夜も卓上には問題の口座番号、話題は鄭と一緒にいた女。早紀はそこから状況の切迫を察知。尚子もそれを不自然と感じ、何か違うと言ったのだ。尚子に預けた結果逆に早紀を追い詰め、尚子まで死なせたとしたらあまりに皮肉だ。
二人が戻ると刑事課にざわめきが走り、しかし言葉をかける者はいない。さっきはまるで理由がわからなかったが、事件と早紀の関わりを先に知ったのだ。着席した中川の肩を柳沢が叩いた。
「飯田君の敵はきっと討つ。管理官の様子では部屋代、経費から出そうにないが。カンパかな」
程なく中川早紀宅への家宅捜索令状発行、強行犯係は中川を残し出動。何人かの視線に振り返った中川の前を、加藤の拒むような無表情が去っていった。
数時間後、港北署刑事課応接室に、高松から上京した早紀の両親の姿があった。
「遠路ご足労いただき、恐縮です」
「いえ、この度はお騒がせしまして。こちらも心当りを捜したのですが……」
「そうですか……早速ですが娘さんは一年前、交通事故で入院なさっていますね?」
「?……ええ」
「それ以降のことを、できるだけ詳しく伺えますか?」
新潟県警の事情聴取を、隣席の小田は黙って見守っていた。夫妻を山崎が駅前のホテルに案内した後、空いた席に小田が移り、署員が淹れ替えてくれたお茶をすすりながら訊ねる。
「同一人物と……思うかね?」
「十中八九。病歴も一致します。採取した生体サンプルの照合結果次第ですが、一年弱で戻ったのも不自然です。拉致被害者の多くは三十年以上経っても戻らないのですから」
「裏がある、と?心当りがあるのかね?」
「彼女ですが、学生の頃射撃クラブに入っていまして……」
「――」
「国体県予選で四位入賞。これが目的ではとの見方も当初からありました」
小田は瞑目した。どうやら、中川にはあまりに残酷な筋書が用意されているようだ。
同夜、港北署刑事課取調室。
机を挟み、中川の向かい小田が座っている。机の傍らに工藤、入口脇には記録係の警官が一人。
「斎藤警部殺害現場に、別人の頭髪があった件だが」
「はい」
「ホテル・グレコから採取した頭髪もDNA鑑定に廻した。最終結果は後日だが、同一人物の可能性が高いそうだ」
「……」
「それと、片桐幸子とも同一人物の可能性が出てきた」
「まさか……」
「我々も実はまだ半信半疑だが、それで辻褄が合うのも事実だ。片桐幸子の生体サンプルは今取り寄せている」
「……」
「知り合った時期は?」
「昨年六月、金沢区の総合病院です。交通事故の後遺症で……」
「記憶喪失……だったね」
「?……はい」
「アプローチは彼女から?」
「いえ……自分からです」
「彼女の反応は?特に動揺する様子はなかったか?」
「戸惑っていました。でも、じっと自分を見つめる視線で感じたんです。彼女は自分を求めていると」
「じっと見つめた、ね?」
「は?」
「彼女からのアプローチとも解釈できるな?」
「……」
思わず言葉を失った中川に、失言と思ったか小田は一瞬表情を緩めた。
「先月以前、彼の存在がちらついたことは?」
「自分は、全く気づきませんでした」
「異変はそれ以降か……なぜすぐ報告しなかった?」
「関連があるとは思いませんでした。本件着手後は気を配る余裕もなく、彼女もそれ以降異状はないと……」
「それは私も聞いたが、状況がこうなると全てを疑う必要がある。無言電話自体、狂言の可能性……」
「それはありません」
工藤の割込みにむっとした中川が言い返し、小田は咳払いした。
「彼女が計画に関わっていた場合、警察の動きも漏れていた可能性があるが、心当りは?」
「……」
「……あるんだな?」
「かなり……」
「かなりじゃない。業務情報漏洩は職務規定違反だぞ。監察官も最初に、一切口外しないよう仰った筈だ」
相変らず気に障る工藤の口調だが、正論とて中川も反論できなかった。
「話を戻そう。記憶喪失の件だが、病院に問い合わせたところ、精密検査を担当した脳外科医は火災で死亡」
「――」
「警察官だと、彼女が知った時期は?君から話したのか?」
「はい、退院祝いを兼ねた初デート時です。所属も話したのはプロポーズ時……二月十四日になります」
「彼女の反応は?すぐOKしたのか?それとも……」
「一週間後です。未明に突然電話で……」
「鄭のアパートから、女が消えた時期と一致するな」
「……」
そこへ捜査員が現れ、廊下に一人出て行った工藤が、二、三分して小田を呼び出した。
「先月中旬、倒産した所沢の建設業者でダイナマイトが紛失していました。工場は既に人手に渡っていますが、先々月破産管財人が訪れた際は異状なかったそうです」
「一ヶ月も前じゃないか!なぜ今まで……」
小田の表情が険しくなった。
「倒産と同時に経営者が失踪、その混乱で……」
「爆発物だろう?管理――」
小田は思わず、工藤と顔を見合わせた。
「業者内に内通者が?」
「あり得るな。経営者の失踪も気になる。追跡調査……」
「埼玉県警が既に着手しています」
「あちらの捜査結果待ちか……CRAWを起動するぞ」
小田の小声で、工藤の表情に緊張が走る。
「そうですか!……李芳姫も?」
「いや、そちらはまだだ。上のOKが出ていない」
「わかりました」
小田は工藤と取調室に戻った。
「続けよう。奥さんと片桐幸子が同一人物なら、問題は帰国した目的だが、新潟県警から気になる話を聞いた」
「?」
「学生の頃射撃クラブに所属、国体県予選で入賞。新潟ではこれが拉致の目的との見方もある」
「――」
「中川巡査部長、今日はここまでにするが、別途監察の事情聴取がある筈だからそのつもりで。いいね?」
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