戒厳下の聖火リレーは必要か
(2008年4月16日(水)0時0分配信 読売ウイークリー)
掲載: 読売ウイークリー 2008年4月27日号
ロンドン、パリ、サンフランシスコ――中国のチベット政策や人権問題に対する欧米世論の不満が、北京五輪の聖火リレーで爆発している。リレーの続行も危ぶまれるなか、中国国内では欧米批判が沸騰。五輪本番でのトラブル発生を懸念する声も出始めている。
「リレーはここで打ち切らざるを得ない」
4月7日のパリ。聖火リレーがセーヌ川に面した仏国会下院前に差し掛かったころ、聖火リレーを主催する北京五輪組織委員会の聖火警護隊はそう決めた。終着点まで残り約6キロ。この瞬間、リレーは度重なる妨害の末、「平和」の象徴から「対立の泥沼」の象徴へと一変した。
フランスでのリレーは、欧米での反中感情のすさまじさを物語る場面の連続だった。ランナーや警護の警官は沿道から途切れなくブーイングを浴びた。中国のテレビクルーが乗るトラックにチベット旗や生卵が投げつけられることもしばしば。ランナーが聖火に飛びかかろうとする人権活動家らに怯えて度々動けなくなり、そのつど、聖火は退避用バスの中へ逃げ込んだ。
「中国製品をボイコットしろ!」「チベットに自由を!」「中国は弾圧をやめて非暴力を貫け」。激しい文言が躍るプラカードがパリの街中に翻った。
聖火の出発点となったエッフェル塔の展望台の上方にも、リレー開始直後、過激な行動で知られる国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」(本部・パリ)がよじ登り、高さ70メートルあたりに巨大な横断幕を掲げた。
横断幕は、五輪旗の輪を手錠に書き換え、白地を黒く塗りつぶしたうえ、旗の下方に赤字で「北京 2008」とあった。「人権を踏みにじる中国で(人権擁護をその価値に据える)五輪は人質に取られた」(記者団)という強烈なメッセージで、これがフランス発でテレビを通じて世界へと広がったのだ。
欧州の“反中パワー”の源
なぜ、これほど激しい抗議行動が繰り広げられたのか。
まず、人権発祥の地である欧州では、世論の大勢が「チベットでの弾圧は中国当局による弱いものいじめ」と受け止めているためだ。仏内閣でも強硬な人権擁護派で知られるラマ・ヤド人権問題担当相は、「チベット問題は中国の内政問題だから外国は干渉すべきでない」という中国側の論理に対し、
「人権は人類普遍の価値観。中国は2001年の五輪招致(決定)の段階で、世界に対して『五輪は人権状況の改善に寄与する』と約束したはずだ」
と猛然と反論する。
北京の地裁がさる4月3日、人権活動家・胡佳氏(34)に対して「国家政権転覆扇動罪」を理由に懲役3年6月の実刑判決を言い渡した一件も仏政府を刺激した。ヤド担当相は判決についてル・モンド紙とのインタビューで、「人権状況を改善するという約束を聞かされた我々に対する裏切りだ」とまで述べている。
もう一つは、北京五輪を機に、世界に声を上げようというチベット亡命者たちの存在だ。チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世率いるチベット亡命政府はパリ、ロンドン、ジュネーブ、ブリュッセルに活動拠点を持ち、欧州に住む約2000人(2005年時点)といわれる亡命者たちの固い結束を支えている。今回は、米国や遠くはオーストラリアからも参集した。
エッフェル塔をセーヌ川の対岸から見据える丘にある「人権広場」。ここで聖火リレーに合わせて開かれたチベット人たちの抗議集会には、世界各地から約3000人(主催者発表)のチベット亡命者と欧州の支持者が集まった。
「チベット自治区には自由がない。だからチベット人は世界が注目するこうした場所で発言するしかないんです」
オーストラリアから駆けつけたというチベット人仏教哲学教師のゲシ・ソノムさん(46)は、こう語った。
また、G8サミット(主要国首脳会議)など大きな国際会議で過激な行動を繰り広げる団体が、聖火を追いかけて世界を転戦している事情もある。例えば、ヨーロッパ人によるチベット支援団体で、オランダが拠点の「チベットのための国際キャンペーン」は、聖火リレーを追ってロンドンからパリへ転戦。同様の団体のメンバーが英国とフランスを結ぶ高速鉄道ユーロスターを埋め尽くす一幕もあった。
こうした一連の騒動によって、経済関係では蜜月状態にある欧州と中国の関係が五輪本番に向けて緊張を高めていくのは間違いない。仏経済紙レゼコーは聖火リレーの翌日、「中国は仏を敵とみなし、仏製品ボイコットを呼びかけている」との記事を掲載した。
これに対し、原発やエアバスなど、巨額の商談を中国との間で抱えるサルコジ大統領は、「五輪開会式に出席すべきか否か」との決断を迫られている。年内に、中国の胡錦濤国家主席がフランスを国賓として訪問する予定も組まれており、大統領も頭を抱えているに違いない。
一方、英首相府は4月9日、ブラウン首相が開会式に欠席(閉会式には出席)することを表明した。すでにポーランド、独などの首脳が開会式の欠席を表明しており、ブッシュ米大統領も中国政府にダライ・ラマ14世との対話再開を求めている。
福田首相はといえば、9日の党首討論でチベット問題について、「一番責任があるのは中国だと思う」と述べたものの、人権改善を求める明確なメッセージは表明していない。
そうしたなか、26日に日本で唯一、聖火リレーが行われる長野市では、緊張感が高まっている。10年前の冬季五輪で聖火リレーを成功させた実績もあるが、リレー実行委員会の関係者はこう言う。
「どういう事態になるか想定できない。日本の人々の常識に委ねるしかない」
前出の「国境なき記者団」のような過激な人権団体の影響は少なく、欧米とは事情が異なると見ている。
中国側がデモなどを抑えるよう要請したことに対しては、
「表現の自由に配慮し、日本の法律に抵触しない行為は抗議でも排除できない」(実行委)
とのスタンスだ。
何だか長野の関係者、と言うより日本人はずっと就寝中?、と世界中に伝わっていなければいいが?心配になってきたゾ。
日本妨害なら中国逆ギレ?
日本のチベット支援団体は欧州で行われたような暴力的行為には批判的だが、海外の活動家による妨害や日本の右翼団体の街宣もありうる。数百人の警察当局と、ボランティアや警備員ら約1600人が警備などに当たる予定だが、警察庁では警備態勢の増強や過激な活動家らの入国制限も検討している。
危害が及ぶ恐れもあるとして、予定された走者が走れるかどうかも微妙になってきた。
「リレー参加の話をもらった時には想定できなかった状況。日本は欧米とは違うと信じたいが、今後の様子を見守りたい」(タレントの萩本欽一さんの所属事務所)、「今後の動向を見守るしかない」(野球日本代表の星野仙一監督)といった状況だ。
万一、日本で日本人による大規模な妨害が起きた場合、反日感情の強い中国側の反発は、欧米に対する比ではないとする声もある。
また、最近、中国を訪れたジャーナリストの富坂聰氏は言う。
「チベットでは漢族の商店も焼き打ちに遭うなど犠牲者が出ており、中国人の多くは『自分たちはいくら死んでも同情されないのか』と反発している。『欧米などはかつての侵略同様、口実を見つけて中国を痛めつけようとしているだけ』との不満も渦巻き、危険水域に入っている」
中国公安省は10日、新疆ウイグル自治区の分離独立を目指す勢力の指令を受けて、北京五輪を狙うテロを計画していたメンバー10人を今年1月に拘束したと発表した。公安当局は、北京五輪期間中に外国記者や観光客、選手を誘拐する計画を練っていたテロ組織も3月下旬から4月上旬にかけて摘発し、容疑者35人を拘束したとしている。
中国政府は反政府暴動やテロを警戒するが、五輪本番で中国人の鬱積したナショナリズムが暴発すれば、史上最悪の〝大トラブル五輪〟になりかねない。 (読売新聞パリ支局長・林 路郎/本誌 瀬川大介 菊池嘉晃)
「過激な活動家ら」?「入国制限対象」、間違えてません?
逆ギレ?上等じゃあ!(笑)
血塗られた五輪の裏面史
北京で29回目となる近代夏季五輪だが、その裏では多くの血が流れている。
「チベット暴動と時代背景や状況は違うが、抑圧された人々を問答無用で弾圧した点でよく似ている」
ジャーナリストの森脇逸男氏は、今回のチベット暴動を自身が新聞記者として取材したメキシコ五輪(1968年)の10日前に起きた「トラテロルコ事件」を例に出し、そう指摘する。
この事件では、メキシコ市内のトラテロルコ広場で民主化を求める集会を開いていた学生らに陸軍部隊が突入し、300人以上を虐殺したとされる(政府発表は死者約30人)。
記者もメキシコ特派員時代、事件当時の学生代表者を取材したことがある。22歳だった彼は広場前のアパート3階バルコニーから演説しており、「兵士が群衆に機関銃を乱射し、恐怖の悲鳴を聞いた」と惨事を語った。銃撃は3時間以上続き、広場は血の海となったという。
当時のメキシコは、表面上は民主主義だったが、実際は一党独裁体制だった。民主化を求めた学生が連日デモを行って五輪開催が危ぶまれた末、政府は武力行使に及んだ。事件後、イタリア、英国などで学生による抗議デモが相次いだが、五輪は厳戒態勢のなか予定通り行われた。
4年後の旧西ドイツ・ミュンヘン五輪(72年)では五輪開催中に、パレスチナ・ゲリラ「黒い9月」がイスラエル選手団宿舎を襲撃した。犯行グループは、コーチと選手各1人ずつを殺害し、選手9人を人質にしたうえで、イスラエルで収監中の仲間の釈放を要求した。
イスラエル政府は要求を拒否し、西ドイツの人質救出作戦も失敗。人質全員と犯行グループ5人、警官1人が死亡する五輪史上最悪のテロ事件になった。
96年のアトランタ五輪でも、市中心部の五輪100周年公園で爆弾テロがあり、2人が死亡、100人以上が負傷した。冷戦下のモスクワ五輪(80年)とロサンゼルス五輪(84年)では、東西陣営のボイコット合戦となった。
2014年のロシア・ソチ冬季五輪でも近くに紛争地チェチェンを抱える。平和と融和を求めるはずの五輪だが、平和裏に開催される保証はない。 (本誌 大屋敷英樹)
あーあ、大阪にしておけば…でも、全部手遅れだったりして。
ゲロ、もといロゲ会長、辞表、いや遺…のご用意は?(冷笑)
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