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2008年3月22日 (土)

Time Up:四.工作員(上)

 やはり同時刻。
 小田は都筑センター北の百貨店屋上にいた。買物客の姿も絶えた一角のイタリア料理店では、ディナータイムのテーブルに一つずつ置かれた古風なランプが鈍く瞬いていた。
 半ば髪が白い、小柄な人物が近づいてきた。港北警察署長・酒井雅昭(まさあき)警視長。非番の今日はスラックスにスポーツシャツ。一方の小田もシャツの裾はGパンの上、前髪も額に垂らし、重大任務を帯びた警察官僚のイメージはない。
「わざわざ来てもらって申し訳ない」
「いえ、自分がお願いしたことですから。尤もご心配通り、あちらを出た後気をつけていたら、尾行がついていました。一旦横浜に出てまきましたよ」
「そうか……」
 会話が一旦途切れ、酒井が示したベンチに二人は並んで腰を降ろした。
「大野君から電話があったよ。即答できる話でないから返事は保留しているが……さて、何をしろというのかな?」
「確認しておきますがこれは、あくまで今回の任務遂行が目的で、それは部長にも進言しています」
「任務……」
 酒井は遠くを見る目になった。

 一九九四年十二月、国外逃亡中と思われていた日本紅衛兵メンバーが都内で目撃され、警察は山梨、長野方面へと追跡を開始したが、同十八日、捜査網を突破した一部メンバーが白馬山麓の山荘に潜入、管理人の妻を人質にその後十日間籠城。有名な「日本紅衛兵白馬山荘事件」である。
 その辣腕を「カミソリ」と綽名された警察庁長官・後藤雅史(ごとうまさし)警視監が指揮官に指名したのは警務局監察官兼警備局付・佐々木篤警視正(現警察庁長官)。警視庁精鋭と共に乗り込んだ彼は郷党意識の強い長野県警もよく掌握、工事用鉄球クレーンなどを駆使し同二十七日に突入、民間人を含め十数名の死傷者を出しながらも全員を逮捕し人質を救出した。人質は直ちに入院、捜査員が病室で事情聴取する他は衰弱を理由に面会謝絶。犯人と一週間以上起居を共にしていた彼女からの捜査情報漏洩防止が真意だった。
 だが直後、そこまでして遮断した事情聴取内容を某新聞地元版がスクープ。先を越された他紙は大騒ぎになり、すわ内部漏洩かと思われたが、真相は新聞記者が病院職員を装い病室に潜入、盗聴していたのだった。
 犯人は盗聴器の電池交換に再度侵入したところを建造物不法侵入・公務執行妨害で現行犯逮捕、だが以降の捜査は突然打切り。そして年明けの阪神・淡路大震災、地下鉄サリンという大惨事で忘れ去られていった。
 警察でも特に処分はなかったが、病院警備責任者の長野県警・酒井警備部長は間もなく警視庁地域部付部長、そして神奈川県警港北警察署長に転任。カモフラージュにワンクッション置いた、巧妙な左遷だった。

「君の任官前の話だが?」
「局公安課から漏洩との噂もあり、万一事実なら今後のためにも然るべく対処すべきでしょう。これは大野部長のお考えでもあります」
「当事者としては、コメントしかねますが?」
「……」
「第一、判決も数年前に確定しており、当時の記録を再調査するにも警備局の了承が要るが、現警備局長がうんと言うと思うかね?」
「長官に直訴する選択肢もあります。あの時も上部の意向に盲従せず指揮を執られたとか。ですから今回……」
「小田君、それはいけない」
 小田の言葉を酒井が語気鋭く遮る。ベンチの真後ろには巨大な観覧車がそびえ立ち、イルミネーションが二人の背中を蒼白く照らしていた。
「現場にも理解のあるあの方だ、確かに否とは仰るまいが、だからなおさら瑕をつけることはできない。何よりも、今回の警備任務に支障となる行動は厳に慎むべきだろう」
「申し上げた筈です。その任務遂行が目的だと」
「……」
 酒井のキャリアを狂わせたあの事件とその張本人。正面に向き直り陰になったその胸中は、横にいる小田にも読み取ることはできなかった。
「もう少し考えさせて欲しい……時間がないのはわかっている。数日中に大野君に電話するよ。今後この件で君と話すのもなしだ。実は、そのように頼まれていてね」
「は……」
「監視というのは、工藤君のことかね?」
「……」
「君達の関係はすぐわかった。ここ数日は結構楽しませてもらったよ」
「それは、お見苦しいものを……」
 小田は苦笑するしかなかった。
「まあ、事情はわかった。時間は大丈夫かね?確か今夜中に、京都へ向かう予定では?」
「最終の新幹線です。今からでしたら何とか」
「では、あまり引き止めてはいけないね。返事は、今言った通り大野君にしておくよ」
 酒井はそう言ってニッコリ笑うと、すっかり日が落ちた屋上を夕闇の中に去っていった。

 五月十日。
 鄭を追っていた大阪府警察の捜査員が上京。邦人失踪や五百円硬貨偽造で、以前からマークしていたと言う。
「新横浜も随分変わりましたね。『のぞみ』も結構停まるし」
 新幹線で現れた捜査員はそう言った。警備部外事課・斎藤剛(さいとうつよし)警部。後退の始まった生え際に細い垂れ目、一見どこにでもいる、くたびれた中年サラリーマンだ。
「以前もいらしたことがおありですか?」
 加藤が質問する。代わりに言葉をかけるべき工藤は、仏頂面で黙り込んだままだ。
「プライムホテルですか、あの煙突みたいなホテルがまだなかった頃です」
「そうですか。プライムホテルは十数年前の開業ですから、それより前ですね」
 お茶を持参した警官が刑事課応接室を退出すると、あらためて本題に入る。
「この人物は約一年前から横浜にいたようですが、それ以前の情報がまるでないのです。把握されている範囲で、もう少し詳しく知りたいのですが」
「いいですよ。本名は鄭栄秀(チョンヨンス)、北朝鮮平安北道出身、現在四十歳。これが顔写真です」
「やはり朝鮮人でしたか……」
「大阪の総聯支部とは全く接触せず、出入りしていた組でも素性は知らなかったようですが。それも特定の組の構成員ではなく、何かあった時の……」
「隠し弾かね?」
 工藤が訊ねた。このタイミングでの大阪府警出現に内心当惑していたが、追い返せば角が立つし、必要ならその役目は小田に押しつければいい。
「そのようです。凶悪事案にも関与の疑いがありマークしていたのですが、立件寸前に逃走(ドロン)で上からは大目玉です……こちらではコックに化けとるとか?」
「中華街です。事件に関わった形跡は現在なし」
 加藤が答えた。
「大阪におった時とえらい違いですな……初めて入国が確認されたのは八年前。最初は工事現場で作業員をしていたがその後コックに転職」
「凶悪事案というと、銃器の扱いもできた……?」
「でしょう。その後どうやら一度帰国、再入国も魂胆あってのことでしょうな」
「工作員の可能性が大ということですね……そちらの上部に本件は?」
「いえ、まだ知らん筈です。まあ、それでもアンテナは立てていたので、今回こうして再会できたわけですが」
 斎藤はそう言い、机上の写真をとんとんと指で叩いた。
「わかりました。現在当方も重要参考人としてマーク、当面公表はしませんが県下を中心に所在確認中です」
「そうですか」
「それともう一つ、鄭はここで或る女性と頻繁に接触していたらしいのですが、お心当りは?」
「接触言うと、蒲団の中ではないですな?」
 斎藤は冗談めかして言ったが、目は笑っていなかった。
「記録によると相手は皆男で、ホモではと話していたくらい女ッ気はなかったですよ。帰国中異性に目覚めたのでなければ、まあ十中八九一味でしょう」

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