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2008年3月 9日 (日)

Time Up:一.親善試合(中)

 四月二十日午前六時、横浜市鶴見区。
 鶴見川左岸、芦穂橋付近に打ち寄せられた背広姿の男性を、ジョギング中の会社経営者が発見、一一九番通報。救急車に次いでパトカーが駆けつけ、早朝の河畔は騒然となった。救急隊員が男の眉間に、仏像のような銃創を見つけたからだった。鑑識は死後約六時間と推定した。

 四月二十一日、朝。
 中川は眠たい目をこすりつつ、地下鉄の新横浜駅入口前を通り過ぎた。昨夜どこで過ごしたか、尚子や課長の加藤(かとう)に知れたら冷やかされるのは間違いない。
 署に到着、刑事課強行犯係の自席に着くと、斜向かいの尚子が声をかけてきた。転職組の中川と違って高校卒業同時に任官した叩上げだが、同い年でもあり最も親しい同僚で、早紀と出会う前、肉体関係を結んでいた時期もある。
「おはよう……ねえ、聞いた?美奈ちゃん、先週の射撃大会で二位だって」
「本当か?」
「さっき、のぞいてきたら大騒ぎ。刑事課から出てないねえ……だって」
「あちゃー。先週は引越を手伝ってもらったりしたが……」
「でも、ホテルを取ったり大変ねえ。あたしの部屋でもよかったのに……」
 尚子は嘘を言った。斉木は短期大学を卒業して今年任官したが、射撃成績は抜群だったそうだ。
「まあ、それも考えたけど、昨夜(ゆうべ)話したら迷惑はかけたくないって言ってたし、俺の実家はちょっと遠いし……」
「昨夜?……あっ、泊まったんだ!」
「あ……ばれたか」
「様子はどう?ノイローゼ気味って言ってたけど……」
「だいぶ落ち着いた。諦めたのだといいんだが」
 本気で心配している中川に尚子は無意識に嫉妬を覚えた。
「録音したんでしょ?記録も調べて捕まえちゃえば?」
「ただもうじき連休や親善試合警戒で泊まりこみだし……当分この状態で様子を見るしかないな」
 そこへ警備課長の柳沢利彦(やなぎさわとしひこ)警部と、刑事課長の加藤稔(みのる)警部が出勤してきた。共に国立の田安大学から国家公務員試験一種をパスした所謂キャリアで、加藤は部下の中川や飯田と同い年、柳沢は二つ年上。加藤はピンクのシャツに派手な柄のネクタイと、相変わらず刑事らしからぬ格好をしている。
「加藤君、あのねー、中川君、昨夜奥さんと一緒だったって」
「やめろって」
 尚子は階級などすっ飛ばし、加藤にタメ口を利いている。何でも以前の部署に加藤が一時配属、数ヶ月間机を並べていたそうで、中川もいつの間にかそれが伝染。慣れとは怖い。
「いいねえ。新婚だものな」
 案の定加藤が食指を動かし、前任の刑事課長だった柳沢が、苦笑しながら助け舟を出す。
「様子はどうだ?落ち着いたか?」
「お蔭様で」
 そこで定時になり、屋外での全署朝礼の後、フロアーで刑事課の朝礼。
「県警本部より通達。五月十八日、横浜国際総合競技場でサッカーの日朝親善試合があるが、諸君も知っての通り、訪日する北朝鮮・金正一総書記が前日泊の予定だ。そこで」
 加藤は一旦言葉を切った。
「北朝鮮政府から打診があった。総書記が試合を観戦したいと。日本政府はこの要請を受諾した」
 課内の空気は一気に緊張した。
「警護範囲は先日連絡の通りだが、これに会場内外と沿道か追加になるわけだ。概要はこれまでの国際大会同様。なお、連絡所設置は試合警備本部と同じく十六日の予定」
「その間、通常業務はまた後回しですか?」
「個々の事案(事件)次第だが、緊急を要するもの以外はそうなると思ってもらいたい」
 上層部はいつも末端の都合などお構いなしだ。ともかくこの上は、面倒な事件が起きて事態が複雑になったりしないよう祈るしかない。この日は鶴見川の射殺体絡みで管内区域の川浚い。あとは事務処理で一日を終えたが、連休が近づけば全署内が警備強化態勢で慌しくなる筈だ。
 駅前に出ると地下鉄への階段は降りず、早紀が滞在しているホテル・グレコに向かう。駅前で買った安物のワインとチーズを提げ入口をくぐった中川を早紀はツインルームで迎えた。シングルルームに毛が生えた程度の広さだが、贅沢は言えない。
「大丈夫?」
「ええ」
「外から、変な電話はかかってきてないか?」
「今日も大丈夫。一度、尚子さんから電話があったけど」
 無言電話とは別の理由で中川はぎょっとした。
「彼女から?用件は?」
「特に何が、ってわけじゃなかった。大丈夫ですかって。心配してくれたのね」
「彼女には引越の手伝いまで頼んじゃったしなあ」
「それと何て言ったっけ、交通課の……」
「斉木。あ、そうだ、先週末の射撃大会県予選で、うちからは彼女が出たんだが、二位に入賞したらしい」
「すごい!」
 黒髪を肩まで伸ばした早紀は大きな目を細めて顔を綻ばせた。
「で、金曜に祝勝会と手伝いのお礼を兼ねて、駅前で飲もうって話になった。OKって返事しておいていいかい?」
「ええ」
 客室備付けのコップを並べ、中川はワインの封を開けた。
「安物だけど」
「いいけど、それ、プライムホテルの下で買ったでしょ?」
「あれ、何でわかった?」
 早紀は苦笑して、中川が提げてきたビニール袋を指した。見ると表に、ホテル名が青々と印刷されてある。
「あ……」
「来る時、フロントで変な顔されなかった?」
「どうだったかな?俺、全然気づかなかった」
 中川も苦笑した。
「でも、無言電話もあれきりみたいだし、何かあっても目と鼻の先だし、もう心配ない」
「ありがとう。ところで……何か臭いよ?」
 早紀は顔をしかめた。
「あれ、まだ臭うか?実は今日、川浚いでさ……」
「やだあ!あとでシャワー浴びてね。川浚いって、そこの鶴見川?」
「そう」
「じゃあ、河口で見つかった変死体と関係があるのかしら?」
「……あれ、何で知ってるんだ?」
「お昼のニュースで言ってた。ごめんね、忙しい時に……」
「いいさ。無言電話も録音してあるし、いざとなったら後悔させてやるさ」
「ありがとう」
「早紀、君は俺が守る。何があっても……」
 中川は早紀を抱きしめた。

 四月二十五日。
 ホテル・グレコ二階の居酒屋「三千院」に、中川夫妻を囲み港北署刑事課の面々が集まっていた。日頃からムードメーカーの加藤が、容赦なく出席者を片端から槍玉にあげている。
「新婚早々、カミさんだけホテル住まいってのは怪しいな。早速夫婦喧嘩か?」
「やめろって」
 案の定中川に矛先が向いてきて、事情を知っている柳沢が苦笑しながら止めた。
「そうよ。余計なお節介を焼くんじゃないの」
 尚子がそう言うと、加藤は舌を出してあっさり矛を収めた。
 中川がトイレに立つと、追うように柳沢が隣の便器に立った。
「色々ご迷惑をおかけします」
「気にするな……加藤の奴、飯田君に気があったとはな」
「え?」
「何だ、お前、全然気づかなかったのか?」
「……はい」
「まあいい……例の無言電話は?」
「幸い、ホテルのほうにはないようです」
「そうか。尤も、こちらもしばらく、それ以上は何もできそうにないが」
「わかってます。今回は全署を挙げての任務ですから……鶴見署の事件(ヤマ)、まだ手がかりはないとか?」
「ああ。身許もまだ不明らしい……それがどうかしたか?」
「いえ、ただ……うちの下流でしたよね?」
「しかし、川浚いでは何も出てこなかっただろう?」
「そうですが……今度の親善試合とは関係ないですよね?」
「さあ?金総書記観戦はオフレコだから無関係の筈だが……まあ、何かあれば上のほうから指示があるだろう」

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