Time Up:三.爆破予告(下)
五月三日。
中川と早紀はJR関内駅の改札前にいた。本番を一週間後に控え一日だけ出た休暇を利用、二人と尚子とのダブルデートをセッティングしたのは加藤。連休の最中とて街は内外の観光客で一杯だった。馬車道の老舗カフェレストランで加藤、尚子と待ち合わせ、新港埠頭の赤れんがパークで小休止。六年前に古い倉庫やホーム跡を大改修、石畳と芝生が広がる公園だ。映画を二本観ると外はもう日が傾き、引込線跡を遊歩道に整備した汽車道を桜木町駅前へ出てイタリア料理店で夕食となった。
「あたしは、男のところにいた女ってのが気になるな」
早紀がトイレに立った隙に、仕事の話になる。外交懸案がまだ山積する中の総書記訪日、指揮官は警備局付ながら警務局監察官。何かと異例ずくめの警備任務だが、加藤の言葉によれば今回は何でも佐々木篤(ささきあつし)警察庁長官の指名人事で、佐々木自身帯びたこの肩書こそ思い入れではと熱っぽく語る加藤に、あの無愛想な監察官への想いを読み取った中川だった。
「素性不明というだけではね……最近は見かけないとかで、住人の記憶も曖昧だし」
「でも、さっき港北署に電話したら、今日のガサ入れ(家宅捜索)では身の回りの物に加え写真や手紙類が見当たらなかったそうだ。ちょっと出かけたという感じじゃないな」
加藤が二皿目のパスタを注文しようと手を挙げながら言う。スリムな体型からは想像しにくいが署内で知らぬ者はない大食漢だ。
「処分して高飛び、か?」
「多分。今は港南署扱いだが、こいつとはまた関わる予感がする」
「そいつも一味かな?尚子、どう思う?」
「それが一番自然ね。警備会議で言ってた、活動支援ネットワークじゃないかしら」
「モンタージュでもばら撒けば手っ取り早いのに」
「それができれば最初から指示が出ているさ。北朝鮮絡みらしいんで慎重なんだろう」
「政治的配慮か……飯が不味くなるな」
加藤がそう言い、運ばれてきたミートソースのラザニアを頬張ったところで、戻ってくる早紀の姿が現れた。
食事を終え再び屋外に出ると、昼間渡ってきた汽車道はイルミネーションでライトアップされ、黒く横たわる運河の上に浮き上がっている。その時前を歩いていたカップルを、尚子が微笑して指した。
「あ……!」
加藤の大声に振り返り赤面したのは、伊東と斉木だった。
「あ、どうも……」
「お前らもデートかよ……そう言えば栄署の仏さん、犯人の目星はまだだって?計画犯行だったらしいが……」
「ええ。だから私、一サポーターとしても許せないんです。絶対捕まえたいですね」
早紀の前とて話はそれきりになったが、中川達もその後の経緯は聞いている。
三浦達哉の失踪直後、付近で争っている人物二人を住民が目撃。通報で急行した警官とすれ違いで、相手らしい男が立ち去っていた。とどめを刺さず逃走した点も、警官の気配に慌てたと考えれば説明はつくのだ。被害者が現場付近にいた理由は未だ不明だが、犯人にも全く土地勘のない場所での犯行だとは考えにくく、調べれば必ず接点は見つかるだろう。
「あ、そうだ中川、お前昨日千円貸したろ?持ってるか?」
「ああ……ちょっと待ってくれ」
中川が取り出した財布から落ちた紙片を、加藤が素早く拾い上げ
「ん?何だこれ」
「あっ!やめろって」
「何、何……あ」
それはJリーグの観戦チケットだった。今度は中川が赤面、早紀が微笑する脇で、尚子がきまり悪げに黙り込む。目の前にあるのは早紀と観に行った去年の物だが中川のJリーグ観戦は最初でなく、そしてその時のチケットをまだ持っていることを、尚子は誰にも話せずにいた。
「茶色いものがくっついてるな。枯れ葉……じゃないよな?一年前と言うと春先だし」
「そうだな……ああ、桜の花びらだ。駅への道筋、花見代わりに通った覚えがある。そう言えば、このチケットを手配してもらったのも斉木だったな」
「そうか、奇遇だねえ……記念に飲み直すか。中華街脇に落ち着いたバーがあるんだ」
加藤が尚子を引っ張るように、先に立って歩き始めた。
同時刻。
周りに誰もいない港北署屋上で、工藤が携帯電話をかけている。呼出し音に続いて、井出が出た。
――井出です……昨夜の首尾はいかがでした、だろう?
「い、いえ……」
――間違いない。サロメの依頼主はやはり平壌だ。狙撃犯を返討ちにするから黙認しろと言ってきた。役者が違うのか、手出し無用に近いことを小田君が言っても笑っていたよ。内心はどうだったかわからんが。
「小田さんらしいですね」
――しかし日本の立場上、一度正論をぶつける必要はあると思って引き合わせた。反応は案の定だったが。
「さすが局長です」
――お世辞はいい。それより捜査状況は?
「港南署管内の男の部屋を今日、令状が出たので捜索しました。どうやらこの男が本件のキーマンのようです」
――外事の情報だったな。
「ただ、いずれにせよこの男が浮上したとなると、稲生氏がどこからの情報で動き出したかも……」
――何が言いたい?
「被害者が計画を察知したルートが明るみになれば……」
――心配かね?そうだねえ、稲生氏にリークしたのは……
「しかし、その指示は――」
――何かね?
「い、いえ、何でもありません」
――……確認しておくが、誰にも気づかれていないだろうね?
「はい、それはもう……」
――ならいい。外務省も入江課長限りだったらしく、石崎局長は「訳がわからない」と言っていたが、公になれば私も君も身の破滅だ。そこは、くれぐれも気をつけてくれたまえ。
「わかっています」
――……今日は休養日だったな。小田君の様子はどうだ?妙な動きはしていないかね?
「はい。先程横浜駅前の映画館に入ったとの報告がありました。現在は観劇中の筈です」
――港北署長の様子は?
「さあ……都筑区内のご自宅では?特に監視はしていませんが何か?」
――いや……しかし、監察官警備局付とは考えたねえ。案の定長官は一も二もなく賛成したが。
「全てを勘案した上、最善の策を考えたまでです」
――まあいい、そういうことにしておこう……
「ところで昨夜、徳田信枝の件は話題になりましたか?」
――いや、そう言えばその話は出なかったな。一〇〇万ドルの要求もそれきりだし……当の徳田が拘置中のせいかも知れないが、それも逆に不気味だな。この後菱和ビル事件で送検予定だが、移送時に逃走を企てる可能性もある。警視庁にも念を押しておこう。
「どうでしょう?徳田信枝の件もカードに使えませんか?」
――どう使うんだ?下手すると弱みを握られかねんが?
「今回の狙撃計画では、平壌に日本への借りがあります。そこで、徳田信枝から接触があれば拒否してくれと。そうすれば今後の日朝関係にもプラスになる筈だと」
――なるほど、平壌側が拒否すれば、渡朝要求自体宙に浮くわけか……わかった、盧氏に私から連絡を取ろう。君、これは誰かに話したかね?
「いえ、局長お一人ですが……伏せておきますか?」
――関知している人間は最小限にしたい。当面私限りで頼む。
「わかりました」
――狙撃計画と日本紅衛兵、別件らしいがうまくいけば同時に解決できるかもしれない。表にはできないが、後々君のことは悪いようにしないから、この調子で頼むよ。
「ありがとうございます」
電話を切った工藤は額の冷汗を拭った。咄嗟の思いつきだったが井出の機嫌は損ねずにすんだと、人心地を取り戻した彼の唇に自嘲の冷笑が浮かんでいた。
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