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2008年3月30日 (日)

Time Up:五.合同警備(中)

 ニュースで斎藤の死を知った早紀の動揺は大きく、ホテルを出たいと言い出した。
 無言電話との因果関係はまだ不明で、鄭らしい男の形跡も途絶えているが、問題は移す先で……考えた結果、尚子に預かってもらうことにした。電話で連絡すると、手荷物だけを持ちタクシーで直行。昔の女に妻を預けるのは複雑な心境で、それは尚子も同様であるに違いなかった。車中で、ふと早紀が一枚の紙片を取り出した。
「ねえ、これ……」
「ん?」
 それは、去年のJリーグのチケットだった。時々沈みがちの彼女を見た中川が手配、そして得点シーンに見せた彼女の笑顔。間もなく法律事務所へも復職、以降はお守りのように、肌身離さず手許に置いている。
「また、一緒に行けるよね?」
「もちろんさ。詳しく話せないけど、今度の任務が終わればゆっくりできる筈だ」
「……わかった。信じてる」

「……いいのか?」
 翌朝、中川の報告を受けた柳沢はそう訊いた。二人の関係を彼は知っている。
「いくつか選択肢は考えたのですが、今回はできるだけ遠い場所にしたかったので。ただ、ホテルはチェックアウトしていませんし、荷物も大半はそのままです。成り行き次第ではまた戻るかも知れませんし」
「大変だな。それと警備連絡所だが、斎藤警部殺しの捜査本部設置でプライムホテルに移設だそうだ」

 韓国・北朝鮮の合同警備陣到着は同日午後。午前の定期便でソウルから飛来したのだが、オブザーバーの筈の韓国の、人数・質共北朝鮮の数倍の陣容、次いでその北朝鮮側警備陣トップ人事に日本側捜査員は驚いた。
 裵明珠(ペミョンス)。父は古参の党幹部、そして母親は誰あろう金正一の異母妹。そのため金一成の生前は母親共々溺愛を受けていたが、それが裏目に出て死後は母娘をライバル視していた金正一の冷遇下、その出自なら免除される筈の地上軍(陸軍)に任官、それでも若くして中佐の地位にある。
 全警備メンバーが顔を揃えたのを機に韓国側責任者のNIS高官を総書記に見立て、今日は試合当日の予行演習。ホテル三十五階フロアーから業務用エレベーターを六階で降り、吹抜けに面したガラス張りのテラスを抜け駐車場棟へ。フロアーには結婚式場・宴会場など他の施設もあるが、当日は部外者が立ち入らないよう日時をそれぞれ調整、テラス側面には防弾シャッターが降ろされる。
 駐車場最上階には用意された車両が待機。最初に港北署の車両を県警外事課で用意するとの申し出に、気前がいいなと中川達署員は思ったのだが、いざ今日外事課から廻されてきた車両に一同は仰天した。真っ赤なスポーツカーあり、白のミニバンありと、どう見ても警察車両ではない。
「カモフラージュが習慣でして」
 県警外事課の捜査員がちょっと照れながら言った。
 車種も色もばらばらで、警備訓練と部外者にはまずわからないだろう珍妙な車列が新幹線高架脇を廻りホテル正面にさしかかった時、中川がハンドルを握る先頭車両に乗り込んだ韓国警察の責任者・朴重吉(パクジュンギル)課長が、向かいにそびえる黄土色のビルを指し訊ねた。
「あれは?」
「武南銀行の事務センターです」
「事務センターというと、管理部門が入っているのですか?」
「違います。預金データから定期預金の満期通知や残高報告を作成、顧客に発送しているんです。管理部門は、みなとみらい地区の本社にあります」
「つまり、顧客データを扱っているわけですね」
「そうです。当日は銀行と連絡を取り合い、ホテル正面前は車列通過時に限り閉鎖します」
 朴課長と並び後部座席に座った原が答える。助手席で通訳するのはグレーのスーツとおかっぱ頭に黒縁の眼鏡をかけた、韓国警察の女性捜査員だ。
 ホテル前から環状二号線を横切りそのままいちょう通りを直進、鳥山(とりやま)川を渡りきると、右手に広がる河川敷では、ワールドカップを契機に陸上競技場やテニスコートもある運動公園を整備中だ。ゆるやかな左カーブと交差点を通過し、新横浜元石川線に合流すると左前方に、直径約三百メートルの競技場が、周囲を圧倒するように横たわっていた。
 北西から入場、蛇行する通路を正面玄関前ロータリーに到着。手前の西ゲート真下には三十台収容の駐車場と、ゲートへの広い階段が立ちふさがって、場外からはよく見えない。
 正面玄関を入ると中央奥のグラウンド入口を挟み、右側がエレベーターホール、左側ホール壁面には、ワールドカップの丁度一年前に寄贈された巨大な記念レリーフ。エレベーターを上がった貴賓控室の上階、両開きの扉を抜けた所がVIP席である。入口脇に四つ並んだ小さな窓はもう一つのVIP席と言うべき貴賓室で、はまっているのはもちろん防弾ガラスだ。
 移動予定経路視察を終え、南スタンド下の防災センターへ。場内の全電源・動力を制御する競技場の心臓で、試合当日はここにも警備連絡所が置かれる。
 口火を切ったのは朴課長だった。
「二、三点伺ってよろしいですか?」
「どうぞ」
「正面玄関が死角になっていない個所があります。関係者用階段付近と南側はうまい具合に隠れていますが、北西隅と西スタンド外側の階段から見通せますね。当日は警邏を立てるか柵を設け、内側に近寄れないようにして下さい……ゲートでの検査で、金属探知機は?」
 朴課長はそのくらい当然でしょうという口調で言った。
「もちろん使います。観戦時はどちらの席を用意しますか?」
「と言うと……斜め後ろの貴賓室のことですか?」
「そうです。観戦中の安全という点では格段にベターです。ずばり密室ですから」
「平壌に確認しておきましょう。正面玄関まで、ほかに経路は?」
「一階駐車場から脇に上がるスロープがあります。通常はシャッターで閉鎖していますが」
「競技場からの経路は?」
「労災病院北側交差点を右折、中央通りを駅前に出ます」
 プライムホテルに戻った一行は、新たに連絡所として確保した会議室に入った。
「今朝ソウルにご連絡の通り、日本では要注意人物として本多正勝こと朝鮮人・鄭栄秀をマークしています。まずこの人物の、正確な情報が欲しいのですが」
「わかりました。一九六X年平安北道生まれ、一二四特殊部隊元山連絡所第五二班対日工作担当」
「特殊部隊所属というと、やはり工作員ですか?」
「ええ。それも人民武力部(国防省)でなく党が管轄している金正一直属の部隊で、一般の徴兵ではなく十代の少年を拉致、訓練も他の部隊と全く別個。その代わり待遇も最上級で、一般軍人とは雲泥の差だそうです」
「超エリートだったわけですね」
「そう。しかし十年前、彼のキャリアは突然絶たれた。なぜだと思いますか?」
「さあ?」
 そこで朴課長は北朝鮮側の責任者に目配せした。あとはあなたから話しなさいということらしい。
「母親が、日本の従軍慰安婦だったそうです」
「……」
 日本人捜査員は、思わず顔を見合わせた。
「戦前日本に協力的だった者は、共和国ではまずまともに暮らせません。白眼視という程度でなく、遠縁に至るまで管理所(収容所)送りは免れません」
「慰安婦という理由で、そこまで?しかしそれでは家族の経歴にも影響するのでは……」
 そう言いかけ
「あっ、隠していたのがばれた?」
「そうです。それで一族もろとも管理所送り。表向きの罪状は贈賄。半年後、所内で殺人を起こしています。具体的には一緒に収監中の妹に保衛員(看守)が手を出し……」
「その看守を殺したのですか?」
「妹をです」
「――」

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