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2008年3月14日 (金)

Time Up:二.狙撃計画(中)

 同日正午前。
 食堂で早めの昼食を摂っていた中川は、民放のニュースに箸を止めた。鶴見川で上がった死体の身許が判明したのだ。稲生正賢、五十九歳。外務省アジア大洋州局北東アジア課長補佐。食事もそこそこに刑事課に戻ると、加藤が同じニュースを見ていた。
「鶴見署(よそ)の事件に口を出すと面倒だが……関連ありなら放っておけない」
 二人が階上の会議室に上がると、工藤と話し込んでいた小田が振り返り
「何だ?」
「鶴見川の死体ですが、身許をテレビで言っています」
「何?」
 小田はテレビをつけ、画面を睨みつけた。民放と同じニュースがNHKで放映されている。
「どこから漏れたんだ?」
「わかりません。今は鶴見署の単独捜査ですが……」
「流域の地図はないか?新横浜から芦穂橋までカバーできる物が欲しい」
 居合わせた生活安全課の山崎智子(やまさきともこ)巡査部長が、港北区と鶴見区の地図を取ってきて机上に広げた。
「なるほど……何個所かで蛇行しているのか」
「そうですね。東から北、そして新羽(にっぱ)橋の先で東に折れた後も左右に……」
「それに途中数ヶ所で支流が流れ込んでいるから、そこから投下された可能性もあるな。最初の川浚いは、このS字より下流だけだったが……」
 工藤と話し込んでいた小田は、そこで顔を上げた。
「鶴見署に進言しよう。捜査範囲を拡大。それでいいな?」
 井出に電話で報告。脇で聞耳を立てる工藤が浮かべる冷笑を小田は見逃さなかった。一流とはいえ私大出の小田は、井出ら東大法学部出身者の眼中にない。中でも工藤は事ある毎にそれが言動に表れ、小田が不愉快な思いをしたのも一度や二度ではなかった。
――マスコミに出てしまったようだねえ。
「は……」
――まあいい。想定はしていた事態だ……他に、怪しい動きは出ていないか?
「所轄管内には異状なし。県下では数件殺人が報告されていますが関連ありとの報告もありません。ただ、地理的条件を考えると放置も不自然で、鶴見署と連動を開始します」
――いいだろう。何か動きがあったら、教えてくれ。
 同日、稲生正賢殺害は総書記警備と同一事案扱いが決定。但し狙撃計画が極秘のため表向き捜査態勢は変更なし。尚子が鶴見署に常駐、死体投棄時刻前後の不審者を捜索することになった。

 やはり同日。
 十二時三十三分、岡山行き「のぞみ八七号」は東京駅を静かに発車した。かつて東海道・山陽新幹線の代表列車は長い間博多行き「ひかり」だったが、それも二〇〇三年秋「ひかり」の看板を降ろし再出発。その前から既に「のぞみ」と同じ車両を投入しスピードアップしていたが、「ひかり」時代のシンボルだった個室や食堂車は姿を消していた。
 黒崎麻由美(くろさきまゆみ)は八号車の座席にもたれ、後方に流れ出した都心の風景を眺めていた。京都で時代劇の衣装合せを済ませたら直ちに帰京、夜には都内でドラマの打上げ。若手実力派女優として分刻みの日程を消化する彼女には、移動時間も貴重な休息の時だった。
 三列程前の席に、サングラスや帽子姿の男女が数名座っている。カジュアルな服装と暗い雰囲気がちぐはぐで、それにしてもどこかで見た顔だがと思いながら、麻由美は彼らをしばらく観察していた。品川発車後しばらく並走していた横須賀線と分かれた後、短いトンネルを幾つか潜りながら再び減速すると、間もなく次の停車駅、新横浜である。
 その時、デッキに現れたスーツ姿の男達に気づいた男女は、麻由美が予想しない反応を見せた。前触れもなく爆竹のような破裂音が車内を貫き
「伏せろ!」
 という声に、乗客は訳がわからぬままうずくまる。なおも断続的に響く破裂音が銃声と気づいた時には、スーツ姿の男達の姿はなく、あの男女が拳銃を手に客室を制圧。麻由美が座席の陰(かげ)でマネージャーと顔を見合わせる中、鶴見川を渡った列車は最後のトンネルを抜け、新横浜駅にのろのろと進入していった。

 新横浜は一九六四年の東海道新幹線開通と同時に、横浜線を跨ぎ開業した駅を中心とする、比較的歴史の浅い町である。一九八七年の国鉄分割民営化で新幹線がJR東海、横浜線がJR東日本の管轄になって以降ここには二人、否、地下鉄も含めると三人の駅長がいることになる。
 二〇〇二年のワールドカップ日韓大会以前から、横浜国際総合競技場や横浜アリーナを中心に観光・産業拠点の顔を持ち始めていたが、その後決勝戦招致を契機に競技場周辺は再開発中、駅も毎時最大五本の「のぞみ」が停車し、県東地区玄関の貫禄を備えつつある。来月十七日の北朝鮮総書記来訪も、そういう歴史の一ページとして残っていくのだろう。
 数次のダイヤ改正で広島・博多直通「ひかり」がなくなり、その代わり従来全席指定の「のぞみ」に自由席を新設。それらは利用者側からの変化だが、JR側の利点は全車両が三〇〇系以降の新型に統一、性能上の区別がなくなりダイヤが引きやすくなったことで、スピードアップにも何よりの好条件だった。一方、数年前の品川駅開業で県東の一部客層は移行。首都圏の玄関口分散も、地味ながら着実に進行していた。
 十二時四十分、駅長は東京の総合指令室から、驚くべき連絡を受け取った。十三分後に到着する岡山行き「のぞみ八七号」に、重要事件の容疑者が乗り込んでおり、車中で確保、新横浜駅で降ろし連行するという。
 十二時四十七分、港北署に続き現れた県警本部の捜査員が、列車を待つばかりの下りホームに駅長の先導で上がり、物々しい雰囲気に包んだ。
 十二時五十分、岡山行き「のぞみ八七号」定刻通り到着。車両はJR東海・JR西日本が共同開発した七〇〇系。正面から見るとスリッパのような、空気抵抗を極限まで減らした設計だ。「のぞみ」も今はこの七〇〇系などを充当、初代「のぞみ」用三〇〇系は「ひかり」や「こだま」に役割をシフトしていた。駅長は警官と共にホーム上で待機したが、列車が完全に停止しても扉は一向に開かず、時刻だけが容赦なく過ぎてゆく。
「どうした?」
 駅長は他の駅員に無線で確認した。
「九号車です。警察が、列車を動かすなと……」
「何だって?なぜ、急に……」
 九号車が停まっているホーム中央に急行すると、おろおろしている駅員の一人をつかまえて訊く。
「どういうことだ?」
「それが、人質がとられて……」
「人質?」
 血の気を失った駅長に、駅員と一緒にいたスーツ姿の、髪を七三に分けた男が話しかけて来た。
「あなたが、ここの駅長ですか?」
「そうです。あなたは……県警の方ですか?」
 駅長の問いに男が差し出した名刺の、肩書きの一番上には「警視庁」の文字があった。
「公安部第三課長補佐の永井(ながい)といいます」
「公安?……どういうことでしょう?」
「我々が追っていた左翼活動家が乗車、との情報があり、身柄を確保する予定が失敗、容疑者が隙を突き、乗客の一部を人質に取って九号車に立て籠りました」
「そういう情報は早めにいただきませんと……」
 駅長は抗議した。捜査上の秘密だったのだろうが、乗客に危険が及ぶようであれば看過できない。
「ホームの一般客は?」
「退避させましょう。お手伝いします」
 助役以下駅員が、警官と共に客を階下に退避させ、無人となったホーム上にずらりと並ぶ機動隊の盾が、昼下がりの陽光に鈍く輝いていた。
「その、活動家というのは誰なんですか?」
「徳田信枝(とくだのぶえ)。ご存じですか?」
 駅長は一瞬気が遠くなった。

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