Time Up:五.合同警備(上)
神奈川県警本部長は、本部庁舎の執務室で不機嫌だった。
「私は、こういう事態を恐れていたんだ」
「申し訳ありません」
小田は執務机の前で頭を下げた。死体が丸腰だったので最初は誰も気づかなかったが、斎藤は個人所有の拳銃を携帯していたのだ。自宅にあった拳銃がないとの連絡に、県警は騒然となった。遺留品中にも該当する拳銃はなし。それは殺害犯が拳銃を奪った可能性を示していた。
「もう一度確認するが、斎藤警部が所持していたのは警察拳銃ではないんだね?」
机の脇に立つ大野は内心の苦笑を噛み殺し、厳粛な表情で小田に質問してきた。
「はい。府警および県警で、持出しがなかったことを確認。拳銃も正式に登録された物でした」
「なら一安心だが、そもそも拳銃携帯で上京というのは尋常でない。もしその朝鮮人が犯人なら、そういう相手との接触時に問題はなかったかどうか……」
県警本部長は、それを理由に県警の責任を回避したげだった。
「仰る通り手落ちがあったなら問題ですが、経緯に充分通じていた筈の斎藤警部の行動としては不自然です」
「しかし……いいかね、これは警官殺しなんだ。しかも現場は連絡所設置署管内、それも目と鼻の先と言うじゃないか?いつ……まさか内部から漏れてはいないだろうね?」
「現在のところ、末端から漏れた形跡はありません」
「末端からはだと?君は私も疑っているのかね?」
県警本部長は達磨のように紅潮、大野がやれやれと言うように視線を天井に投げた。
「失言でした。申し訳ありません」
「もういい……だが、マスコミが勘づいた以上……」
「仰る通り、経緯がどうあれ公開捜査しかありません」
「売られた喧嘩、でもある。受けて立つしかないが……」
「全関係者に拳銃携帯を発令しますので、ご了承願います」
「わかった……ご苦労だった」
小田は大野と肩を並べて退室した。
「案の定と言っては不謹慎だが……」
「問題は府警への説明ですね。県警に任せるか中央を間に入れるか、局長と相談しますが迷うところです」
その足で、検証が続く現場に直行。死亡推定時刻は昨夜〇時前後。グラウンドを囲む金網が暗がりで切り破られ、地面には、矢倉の下まで何かを引きずった跡。犯人は無抵抗の被害者をグラウンド外から運び、ロープで首を吊り下げたと思われた。
「犯人の足跡は?グラウンドの泥が付いた筈だが?」
「それがあいにく、直後の俄雨で流れてしまったようです。グラウンド内の足跡も、靴底の溝とか模様が残っていませんでした。一番上にビニールのカバーか何かを履いて入ったのでしょう。これでは靴の種類の特定は無理ですね」
「現場検証で我々も使うやつだな」
「グラウンドを出て外したとしたらお手上げです。逆に見つかれば手がかりになりますが……」
「そうか……咄嗟に袋か何かで代用しても、計画的犯行なら不用意に証拠は残すまい。目撃情報は?午前〇時前後なら終電で帰宅する住民もいた筈だが」
「それが、昨夜は丁度例の俄雨に気を取られたか、これといった目撃情報はまだ出てきていません」
「続けてくれ。足跡に細工した分油断して、他に証拠を残しているかもしれない」
小田はそう指示すると見廻した。高層マンションも数棟点在しているが周囲には街灯もなく、夜間は真っ暗に近かったと思われる。斎藤はなぜ、このような場所に現れたのか?
――井出ですが……
「小田です」
――君か。どうだったね?
「県警本部長は立腹しておられました。先に鄭を検挙していれば斎藤警部殺害は……」
――防げたのではないかと?
「ただ犯人が誰にせよ斎藤警部の動きを察知していた、つまり情報が漏れていた可能性があります」
――君は本部長も疑ったそうだね?
「……」
――今、電話で泣きつかれたばかりだよ……ついでに少し話したが、犯人が近辺にいた可能性では私も同感だ。
「恐れ入ります。そこで今後の対応ですが、本部長にも申し上げましたが、公開捜査しかありません」
――しかし府警も黙っていまい?面子もあろうし……
「そうですが、鄭への対処が後手に廻った同士、理解は得られる筈です。言い訳ととられると確かに面倒ですが……」
――うまくやることだな……平壌対策はどうする?
「鄭の情報をリークしましょう。我々がマークしていると。目算が当りにせよ外れにせよ、何か動きをする筈です」
――暴発のおそれはないか?試合の準備も進んでいるし。
「は……」
小田は言葉を濁した。北朝鮮代表は海外クラブ所属選手が北京入りし、一足先に最終調整中のチームに合流。中でも安智平(アンチピョル)ら数人の在日Jリーガーには日本のマスコミが張り付き、連日のように親善ムードを盛り上げていた。
「いつまでも後手に廻っていては甘く見られます。今は正面検挙の姿勢で、プレッシャーをかけるべきです」
――君の言い分は尤もだが大阪府警、それに明日には韓国・北朝鮮の警備陣も来日するから事前に調整したほうがいいね。平壌へは私からも盧氏に話しておこう。
同日午後、大阪府警の捜査員が新幹線で上京してきた。
「申し訳ない」
「顔を上げて下さい。泳がせるという指示なら致し方ないでしょう」
斎藤の直属の上司、外事課長代理の長島明洋警視(ながしまあきひろ)は、警備本部捜査員の平身低頭を、穏やかにそうフォローした。
「……やはり鄭の仕業なのでしょうか?」
「現時点では最優先マーク対象です。捜査線に浮上後は姿を消していますが」
「生活圏外に潜伏先を確保していたかもしれませんね」
「女の所かもしれません」
「女?」
「アパートに出入りしていた形跡があり、素性を確認中です……大阪では全く異性の影がなかったとか。同性愛主義者、との見方もあったそうですね?」
「それは半分冗談だったんですが、身辺に女っ気がなかったのは事実です。斎藤の意見も同じだったと思いますが、その女も一味でしょう……遺留品は?」
警務課から届けられた遺留品が机上に並べられた。ショルダーバッグの中で持ち主を待っていた下着の替えや洗面用具、死亡時に身に付けていた財布、手帳……
「これは……ページが破られていますね」
手帳の異状に気づいたのは長島だった。
「えっ?」
「ここに、鄭とは断言しませんが犯人に不都合なことが記してあったなら、奪った可能性は大ですね」
「何が、書いてあったのかな?」
府警の捜査員達はなおもページをひねくり回していたが、一人が急にシャープペンシルで塗りたくり始めた。
「どうした?」
「これですよ」
一見白紙だったページに、白く一行の数字が浮き上がっていた。
000X―XXX―X―XXXXXXX
「これは……?」
「ペン先の跡が次のページについていて、拓本の原理でそれを浮き上がらせてみたんです」
「何かな?電話番号にしては長いし……」
「他の何かとの組合せかもしれませんね」
「かもしれないが……各電話会社に確認だ」
番号を控えた捜査員が電話に向かう一方、他の捜査員達は残されたページや他の遺留品を調べたが、手がかりになりそうな物は何も見つからなかった。
「電話の線も望み薄ですね。000で始まる番号は、現在国内に存在しないそうです」
「だが実際にこのページが消えている。もし殺害犯が奪ったのなら、この数字は大きなヒントになる筈だ」
長島はそう言い、あらためて県警の捜査員達を見た。
「あなたがたに解読をお願いしたい。ここでキャッチした情報のようなので。よろしいですね?」
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