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2008年3月15日 (土)

Time Up:二.狙撃計画(下)

 徳田信枝、左翼過激派組織「日本紅衛兵」リーダー。十年前死者二十三人が出た大手町菱和ビル爆破の主犯。拘置中に一味が東京発宮崎行きJAL「おおよど号」をハイジャック、超法規的措置で釈放後北朝鮮、そして中東に渡り、湾岸戦争ではイラク義勇兵として参加、戦後も複数の反米テロに関与していると見られていた。
「取締りを強化したヨルダンから脱出、日本に帰っていたのは今日わかったばかりです」
「――そう言えば、公然と滞在していた某活動家も、最近身柄を拘束されたとか……彼女はどこへ向かうつもりでしょう?九州、いや……」
「新下関まで走らせろと要求しています。海路、北朝鮮を目指すつもりかと」
「所定の停車時間(三十秒)は過ぎています。犯人も気づいている筈ですが、人質は大丈夫でしょうか?」
「彼女は、逃走を最優先に考えている筈です。よほどのことがない限り、手は出さないでしょう」
「そうですか……」
 駅長は、ホームに停車中の列車を見遣った。自分も、彼女らをみすみす逃したくはない。乗客を人質にするという卑劣な手段を取っているとなると、なおさらだ。だが彼には、乗客の安全を守るという使命がある。それは一命をかけても守らねばならない、鉄道マンとしての鉄則だった。
「犯人に呼びかけることはできますか?」
「できると思いますが……何を?」
「人質の交換です。何としても乗客だけは危険から救いたい」
「わかりますが、しかし、誰と?」
「私が行きます」
「駅長!」
 駅員達は悲鳴をあげた。永井は駅長の顔をじっと見た。
「お気持ちはわかりますが、相手は筋金入りの過激派です。人質の人選は慎重さを要します」
「……」
「現在、候補を政府がピックアップ中で、あなたには安全確保にもご協力いただかなければなりません。もちろんその前に解決できればベストですが」
 駅員が飛んできた。「のぞみ八七号」から連絡が入ったという。駅長は事務室に駆け込みマイクを握った。永井もついてきた。
「こちら新横浜駅長」
――こちら八七A車掌長。犯人が話したいと言っていますが、どうしますか?
 駅長は無言で永井の顔を見、永井も無言で頷いた。
「替わって下さい……もしもし、私が駅長だ」
――初めまして。
 中年の女の声に、駅長は思わず唾をのみ込んだ。列車を占拠した徳田信枝だろう。
「用件は何かな?」
――すぐに列車を発車させなさい。
「新下関に行きたいそうだね?」
――東京の総合指令室にさっきから言ってるけど、言うことを聞かないの。
「人質を解放しなさい。話はそれからだ」
――それはだめ。逃した途端に突入するつもりでしょう?
「一部の乗客だけでも解放して欲しい。そしたら私が、無理に突入しないよう説得する」
――やっぱり警察もいるのね?
「警察を呼ぶなとは聞いていないが?」
――それは、一本取られたわね。
 スピーカーが低く笑った。落ち着いている様子で、どうやら当分人質に危険はなさそうだ。永井がその調子ですよと言うように微笑して見せた。
「思案のしどころじゃないか?今のままでは、列車はずっと動かないぞ」
――そんなこと言ってるより、人質の安全でも考えたら?
「人質の安全?」
――十分以内に動かなければ三十分ごとに一人殺す。料金の払戻しどころでは済まないわね?
 駅長は、思わず無線機を睨みつけた。
――最終期限はこれから二時間後。その時は全員……
「私が、代わりに人質になろう」
――悪いけど、あなたの冗談に付き合うつもりはないわ。
「私では不足かね?こちらは大真面目なんだが?」
 永井が童顔の女性捜査員に何か耳打ち、捜査員は事務室を飛び出していった。
「乗客を人質に取った行為が我々鉄道マンにどれだけ卑劣に映っているかわかるかね?そういうやり方を続けているから世界中に見放され、居場所もなくなったんじゃないのか?」
――……
「新下関に何をしに行くつもりかね?」
――……
「また北朝鮮か?あそこが地上の楽園どころかこの世の地獄なのは君も知っている筈だが?」
――共和国こそ反米の砦。金将軍は……
「食い扶持は減る、国際社会では孤立する、人民が気の毒と思わないかね?」
――……
「君も気づいた通り警察が包囲しているし、マスコミも嗅ぎつけたらしい。もう逃げ場所はないぞ。役不足と言うなら私と引換えとは言わないが、君がただの殺人鬼でないなら、せめて車内にいる乗客は解放しなさい。そうすれば私も君の要求が通るよう協力しようじゃないか」
 その時、事務室に戻った女性捜査員から耳打ちされた永井が手帳にメモ、無言で駅長に示した。
――線路上に警官を入れ、床下から突入します。
 駅長はその下に書き足した。
――乗客の安全を第一に、お願いします。
 一読した永井は無言でオーケーのサインを作り、女性捜査員を連絡係に残して退室。駅長はマイクを握り直した。あとは徳田信枝の注意を一秒でも長く、無線に集中させることだ。
「どうだ?君にも悪い話ではない筈だ」
――信じられると思う?
「それはお互い様だろう?君がずっとそういう態度だと、列車も事態も動かないぞ」
――……
「まず、乗客の一部を解放しなさい。それで警察も要求を呑みやすくなる筈だ。そして最後に、替わりの人質と引換えに全乗客を解放、要求通り新下関に向かう。どうだね?」
――でも、そうするという保証――
 会話が途切れ、怒号、そして破壊音と共にスピーカーは沈黙。駅長はホーム上に飛び出すと、慌ただしく行き来する駅員の一人をつかまえて訊いた。
「突入したのか?」
「そうです」
「そうか。乗客は無事か?」
「被害は出ていないようですが、まだ確認できません」
 駅長が人ごみを掻き分け九号車付近にたどり着くと、一気に環を狭めた機動隊の間を、手錠をかけられた男女が連行されてくるところだった。
 周りを固める捜査員の先頭にいた永井が、駅長に言った。
「全員身柄を確保しました。港北署に連行します」
「乗客は無事ですか?」
「ええ。全員怪我もありません。完全解決です」
「よかった……」
 その時、連行されていく中年の女性がきっと振り返り、凄い目で駅長を睨んだ。
「裏切ったな!」
「え……?」
「この借りは、きっと返してもらうからな!」
 さっきの無線機から流れてきたものと同じ声だった。その女――徳田信枝も、今の会話から自分を、無線で話した駅長と特定したのだろう。
 十三時十七分、二十七分遅れで動き出した「のぞみ八七号」を敬礼で見送りながら駅長は彼女の台詞を反芻、ぶるっと身震いした。

 港北警察署に留置された徳田信枝らの所持品中に、新大阪までの人数分の切符があった。新下関行きの要求との矛盾に戸惑いながらも、捜査本部は急ぎ大阪府警に連絡、新大阪駅を中心に不審者の捜索を依頼した。
 徳田ら日本紅衛兵幹部逮捕のニュースは、夕方には全国を駆け抜けた。十年前の残虐な無差別爆破殺人事件は彼らこそ民衆の敵と世間に知らしめ、その後当局が攻勢に出る端緒となったが、それでも最大のカリスマである徳田を検挙し一つの区切りをつけるまで、何と多くの年月を要したことか。
 港北署もしばらくは、不祥事続きの警察の面目を久々にほどこしたこのニュースで持切りだったが、重大任務を目前に控える警備本部の捜査員達は、その余韻に浸っている余裕はなかった。それどころかこのテロリズムのカリスマがなおも演じる悪あがきが任務を最後まで悩ますとは、この時誰も予想していなかった。

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