Time Up:二.狙撃計画(上)
四月二十八日。
中川と早紀はホテル・グレコ一階のラウンジで朝食を摂っていた。通りに面した店内にも、連休中とていつもの出張族より観光客らしい単身者・グループが目立つ。
話題は一週間前中川が自宅近くで見かけた男。怯えさせるかもと最初は黙っていたが、隠し事は逆効果だろうと思い直したのだった。
「ひょっとして、無言電話の……?」
「かもしれないが……ホテルにはかかって来てないんだよね?」
「ええ、あれっきり。隆行の仕事関係かしら?大丈夫?」
「見覚えはなかったから、扱った事件の関係者じゃないと思う。確認はしてないけど」
「気をつけてね」
食事を済ませると早紀と別れ、ホテルを後にする。駅前を左に折れ環状二号線沿いに北上、プライムホテルや横浜アリーナがある交差点の大きな陸橋を渡りかけ、ふと眼下を見下ろした中川は第三京浜方面から現れた、異様な車列に思わず立ち止まった。
大部分が黒塗りやグレー、中には屋根からアンテナが突き出したライトバン。赤色灯こそないが警察車両とすぐにわかる車列は立ち尽くす中川の足元を左折して行った。署に着くと敷地はその車列が占領。全署員が右往左往する中で刑事課の自席にたどり着くと尚子に訊ねる。
「表の車……気づいた?」
「うん」
「管内で大きい事件?それとも例の、親善試合警備?」
「そっちじゃなくて、総書記訪日の警備連絡所設置だって」
「あれ?到着前日の予定じゃなかった?」
「繰り上がったみたい。理由はわからないけど」
そこへ加藤が入ってきた。
「気づいた者もいると思うが、本日、金総書記訪日警備本部が発足、港北署にも連絡所が設置された。今後、本件については本部の指示で動いてもらうので、よろしく頼む」
「予定が繰り上がったようですが、理由は何ですか?」
「八時半に大会議室に集合。警備全般の指示がある。繰上げの理由もその時説明があると思う」
上階の大会議室正面には一目で警察幹部とわかる面々がずらりと並び、署長以下港北署の幹部はその脇に着席。当日が近づけば南北朝鮮側の担当者も加わる筈だ。各所に据えられた電話機・パソコンやFAXのコードが何十本も床にとぐろを巻き、連絡所どころか警備本部並の規模だ。中川達も室内後方に着席、定刻通りに会議が始まると正面幹部席中央の、髪を油で撫で付けた目つきの鋭い男がマイクを執った。
「警備局付の小田だ。北朝鮮総書記来日警備事案で、局長に代わり自分が指揮を執る。今後諸君も指揮下に入ってもらうが、自分は全行程の警備を預かる都合上、常時はこの、工藤管理官に詰めてもらう」
小田はそう言い、隣席の小柄な男を紹介した。工藤義将(よしまさ)警視、神奈川県警察警備部管理官。立ち上がりわずかに頷くと、半分興味がなさそうな顔で室内を見渡す。それに続く幹部捜査員の紹介を聞いていた柳沢が、眉間に皺を寄せた。
「何で外事がいるんだ?」
柳沢が言ったのは、最前列に居並んだ外事課捜査員のことだ。
「外事?じゃあ、北のスパイ対策ですかね?」
「だと思うが、警備本部ならともかく一連絡所にいきなり顔を出すというのは……」
所轄の私語が耳に入ったか入らなかったか、咳払いをした小田は本題に入った。
「まず重大な情報がある。今回の訪日中に総書記を狙撃する計画の情報が、韓国から入った」
そのひとことで、会議室が水を打ったようにしんとなった。
「北朝鮮の前国防相失脚のニュースは知っていると思うが、その支持勢力が総書記暗殺を計画しているとの情報をNISがキャッチ。平壌が内々に、外部のプロに阻止を依頼した、との情報もある」
「狙撃が訪日中という根拠は?」
「一つは、自国内ではさすがに警備が厳しい点。一つは責任を日本政府に転嫁できれば外交カードになる点。その意味で今回の親善試合はまさに格好の舞台だ」
「もう入国しているのでしょうか?狙撃犯にしろ、政府側のプロにしろ」
「双方の素性、所在、ゴーサインの有無および時期は不明。国際便が発着する各空港・海港には既に連絡、不審な入国者のチェックを指示した」
「解任された、ええと……何て言いましたっけ?今は、香港に滞在中でしたね?」
「その通り。狙撃計画への関与の有無は不明」
「訪日中と言っても、他の場所で狙う可能性もありますね?」
「その通り。滞在先各府県警にも連絡、警戒を要請した。まだ情報が少なく、我々も今はこれ以上対応しようがないのが実情だ。今後は南北朝鮮当局からも最新の情報が入ってくるが、国際刑事警察に依頼、政府側が依頼したプロの割出し中だ」
「平壌がプロを雇ったというと、黒幕はあくまで前人民武力相の支持勢力ということでしょうか?」
「そのようだが、今後は我々も独自に情報収集。具体的な指示は適宜出すが諸君もそのつもりで」
小田はそこで言葉を切ると、あらためて全捜査員を見まわして言った。
「最後に確認しておくが、狙撃計画だけでなく総書記観戦も極秘。外部はもちろん、警察内でも当警備任務担当外の者には一切口外しないこと」
散会後所轄捜査員は一旦自席待機、警備本部が割り振った任務に駆り出されていく。中川は警視庁公安部外事課の磯貝貴美子(いそがいきみこ)警部と組むことになり、車を廻そうと玄関へ向かう途中で伊東と斉木にぶつかった。外出の帰りらしく二人共スーツ姿だが顔をこわばらせ、斉木は蒼ざめていた。
「どうした?二人共怖い顔をして」
「怖い顔は生まれつきです」
「冗談だってば」
そこで伊東が話を戻す。
「昨日の夕方、栄署管内の柏尾川で学生の水死体が揚がったのはご存じですか?」
「ああ……それがどうしたんだ?」
「顔見知りだったんです」
「本当か?」
「一週間前、競技場の横浜―島田戦で発煙筒騒ぎがあって、実はその犯人だったんです」
「そう言えばテレビの生中継で、スタンドから煙が出ていた……殺人(ころし)か?」
「腹部に銃創がありました。撃たれたか自分でやったかは不明、凶器も未発見ですが、携帯電話や血痕の発見現場との位置関係は一致します」
通りかかった尚子が割り込んできた。
「動機は?物盗りかなあ?」
「財布に五千円と銀行のキャッシュカードが手付かずで残っていました。該当する銀行に念のため問い合わせましたが、事件前後不審な出金などはなかったそうです」
「となると無差別か怨恨……ああ、それで、発煙筒騒ぎ絡みで事情を訊かれたわけね?」
「ええ。ただ別に怪我人が出たというわけでなし、あれが動機になったとは思えないんですが……」
そう言い、まだ信じられないとばかりに首を左右に振る、斉木の後を伊東が補足した。
「気になるのは、発煙筒騒ぎを一万円で唆した男がいたと被害者(ガイシャ)が言っていたことで、栄署もその情報に注目しています。港北署が扱った案件ですから、関連ありとなれば協力要請があるでしょう」
翌二十九日、栄署に捜査本部設置。血痕は東海道線東側の空き地から線路をまたぎ、遺体発見現場上流の川岸まで続いていた。血液型は被害者と同じO型。被害者はこの空き地で負傷、自力で川岸まで到達後溺れたものと見られた。凶器と思われる銃器は、弾丸などを含め遂に発見されなかった。
事件当日から被害者の行動を遡った結果、最後に残ったのは競技場で接触してきたという男だけになった。捜査本部はこの男を重要参考人と認定、港北署に捜査協力を要請。発煙筒騒ぎで被害者と面識もある伊東と斉木は通常任務を離れ、この人物の足取りを調べることになった。
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