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2007年6月28日 (木)

広島に行ってきました2

公園正面の通りを南に渡り、ゲートでもあるのだろうモニュメントが並ぶ小さな公園を東に折れて停車場へ。宮島まで足を伸ばす予定だったが時間的制約から断念、公園と駅に挟まれた一角へ。目抜き通りの停車場から複合商業施設を左手、市役所を右手に北上すると、正面に濠を挟んで、東西に伸びる石垣が横たわっている。そう、これが明治までの、いや戦中に到るまで街の顔だった広島城である。
現在残っているのは、天守閣や御殿(藩主居館・政庁)のあった本丸と、それを護る役割のあった二の丸。南から見えた石垣は、その二の丸を囲む多聞櫓で、木造の外部を漆喰で白く固めているが、さらにその腰(下部)を板で覆っているので殺風景さがない。天守閣も同じ造りで、「鯉(こい)城」と称されたそうである。ちなみにプロ野球のチーム名「広島東洋カープ」の「カープ(Carp)」の語源はこの城だそうな。
天守閣と二の丸多聞櫓の中は、毛利家から福島家、浅野家と続く城の歴史を展示してある。往時を偲ばせる建物はそれくらい。それも明治以降軍司令部使用、そして原爆で跡形もなくなり、一部を戦後修復したのが今の姿なのだ。天守南方、本丸のほぼ中央には、礎石だけとなった大本営(軍管区司令部)跡が歴史を伝えている。

宿へ一旦戻って荷物を置くと、まず路面電車で駅へ、そして山陽本線下りの各駅停車で五分揺られ、数分で隣の駅。
古風なアーケードに飾られたロータリーからシャトルバスに乗ると自動車専用道路に上がり、永い永いトンネルを抜けて山間部へ。
トンネル内はナトリウム灯で橙色。清水か新潟かと錯覚するが、トンネルを抜け山間部に入り、大学のキャンパスを縫って上り詰めたところに、半円形の屋根で一部を覆った巨大な競技場がある。
広島総合競技場、通称ビッグアーチ。そう、今日はこれからサッカーJリーグ、ディヴィジョン1、サンフレッチェ広島対清水エスパルスの観戦である。

トップチームの監督はミハイロ・ペトロヴィッチ。セルビア出身で、ユーゴスラヴィアでは名指揮官イビチャ・オシム監督(現日本代表監督)の下にもいた、言わば「弟子」。ためにイビチャおよびその息子アマル・オシム監督率いるジェフユナイテッド市原・千葉との対戦は「師弟対決」次いで「息子対弟子」とも称されている。

バス停から数分歩いて到着、広い階段を上ってゲートイン。
広壮、とは言いかねるがまずまず充分な幅を持つコンコースを抜けスタンドへ。屋根があるのはメインスタンド中央の指定席だけで、他は吹きさらしだから雨天時は難儀だろうが、今日は雲一つない晴天。夏至を控えた厳しい日差しが沈むと、チームカラーのような菫色の夕空を、初夏の清涼な風が渡っていく。
荷物を置くとコンコースで紫のTシャツと弁当、ビールを買って再び着席。紙のケースにチームの監督・選手の似顔絵を印刷したオリジナル握り飯セットである。

試合は、清水の韓国人FWチョ・ジェジンが先制。あちこちで数度観ているが、その度に失点を許しているような気がする。とにかく決定力という点では、多くの日本人にも見習ってもらいたいものだ。
このまま逃げ切りたかったであろう清水だが、広島はDF戸田が、距離のある所から意表を突くミドルシュートで同点。そして決勝点を決めたのは、若手FW柏木。
ストライカー・ウェズレイを欠きながら、日韓ワールドカップ経験者とU22候補という新旧世代の活躍で強豪清水に逆転勝ち。リーグ戦はまだ前半中途だが、今後台風の目となりそうな予感。

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